根気よく歯医者に通う
歯医者の診察券の予約を書き込む欄がいっぱいになった。12月に3本歯を抜いたあとも、根気強く歯医者に通っている。三日連続の...
風早草子
カザハヤソウシ
2025年9月27日
何十年かぶりにYoutubeで「アラビア風奇想曲」を聞いた。スペインの作曲家タレガの曲だ。そう、クラシックギターの世界は、とにかくスペインだ。やっぱりいい曲だ。このギタリストの方は知らないけど、懐かしい曲を無料で一瞬で呼び出せるのは、ネット社会のありがたみだ。
書き手にスペインの方が加わって、みなさんスペインに関することを書いている。私は行ったこともないし、行く予定もないし、友人もいないし、スペイン語も選択してなかったし、残念ながらこれまでの人生でスペインとの接点は何もないなー、と思っていた。
けれども、それは勘違いだった。実は中学生の時、2〜3年、クラシックギターを習っていた。積極的な動機はあまりなくて、なんか流れみたいなもの。母の甥で私の従兄弟である人がクラシックギターの名手だった。ほとんど独学で練習したらしいが、センスがあるのだろう。どんな曲でも楽しそうに演奏できる人だった。というか、ギターだけでなく、運動も勉強もできて、そのうち東大で教授になり、ちょっとニッチな分野だけどそこの権威としてテレビにもしばしば出ていた。まあそういう人っているのだ。そういう甥を見ていた母が兄が小学生の時にギターを習うことを勧めて、兄は少しギターを習っていた。万事、消極的でへそ曲がりな私は当然、ギターは習わなかった。その後、父の転勤で住所が何度か変わる中で兄のギターも続いていなかったのだけど、大森のマンションに引っ越してところ、マンション内に住んでいるプロのギタリストの人と母が知り合いになり、また兄にギターを習ったら?と勧めた。その際に「ついでにあなたも習ってみたら?」という話になったのだ。その頃、中学一年生。友達もギターとかに興味を持ち始めている年頃で、こっそり練習して弾けるようになったらカッコいいかな?モテるかも?みたいな気があったのだと思う。小学生の頃からハーモニカや縦笛さえ満足に吹けず、ましてや鍵盤モノは手の動かし方さえわからない、という不器用モノのくせに思い切ったものだと思う。たぶん慢性虚弱児だったのが、中学で陸上部に入り、一人のコソ練筋トレで頭角を表していた時期なので、ギターも努力すればできるようになるはず、という根拠なき自信があったのだと思う。
そんな私に従兄弟がプレゼントしてくれたのが、ナルシソ・イエペス演奏のギターの名曲が詰まったカセットテープとその楽譜集だった。楽譜集には結構長い解説記事もついていた。イエペス演奏の名曲はどれも格好良くて聞きまくっていた。中でもお気に入りだったのが、「アラビア風奇想曲」という曲。当時は作曲・タルレガ、となっていたけど、最近はタレガと表記されているようだ。他、アルベニスとかソルとか、ナルバエスとか、みんなスペインの作曲家ばかりだ。「アルハンブラの思い出」とか「アストゥリアス」とか「粉屋の踊り」とか、「グラナダ」とか。
時々、遊びに来る従兄弟にリクエストをすると、アラビア風奇想曲とか、アルハンブラの思い出とか、熊蜂とか、何でも目の前で弾いてくれた。独学でギターをかじった人でこういうレベルの曲を易々と弾けるのは、ちょっと異常なのだけど、その頃は「俺もこれから練習すれば、こういう曲が演奏できるようになるんだ。カッケー!」と壮大な勘違いをしていた。ちなみに従兄弟は、「グラナダ」という曲が超難しいと言っていた。それを聞いて私は、グラナダは別にいいかな。アラビア風奇想曲が弾ければ十分だ、と思っていた。(爆)
ギターを習い始めたことは、友達には秘密にしていた。上手くなってからさりげなく披露して格好を付けたかったのだ。だから、来るその時に向けて、当時の私は物凄い情熱でギターの練習をしていた。陸上部の練習から帰って夕食を食べて、コソ練の筋トレをしてから、2時間、3時間とギターを弾いていた。兄より10倍くらい熱心だったと思う。勉強はどうしていたのだろう?と思うが、中学生までの私は勉強のできる子で全く苦労はしていなかった。塾というものに一切行ったことはなかったけど、成績は音楽以外オール5だったし、特にテストに強かった。本来なら私のギフトは運動とかギターより、そっちにあったのかもしれないが、人間、自分が努力せずにできることに価値を感じにくいのかもしれない。それに当時の中学生の世界で、勉強ができるということは、仲間内からの尊敬や女子からのモテにつながらなかったような気がする。私は「勉強できるけど運動イマイチの華奢で色白の男の子」という自分の属性が嫌だったのだ。もちろん毎週野鳥公園に鳥を見に行っている、という根暗な趣味は学校では厳重に秘匿していた。(笑)見事な重症中二病患者で屈折しまくっていたわけだ。
久しぶりにスペインのギターの名曲を聴いていたら、ほろ苦い青春時代の記憶が蘇ってきて、つい長文を書いてしまった。ちなみに2年くらい、ものすごく練習したクラシックギターは、私にその才能がないことを痛いほどわからせてくれた。「禁じられた遊び」くらいは弾けるようになったけど、トレモロ奏法とか、あんな指の動かし方は私にはどんなに努力してもできなかった。あと中指と薬指の爪が薄くて割れやすくて、あまりギターを弾くのに向いていなかったこともある。だけど、そもそも楽譜を見ながら、瞬間的に押さえる弦を把握して的確に弾いていくとか、そういうセンスが全く成長しなかった。ピアノとかでもそうだけど、楽譜を見てそれに合わせて両手を的確に動かして演奏していく、という芸当はきっと私が知らない魔法をみなさん使っているのだろうと、今でも思っている。でも、多感な時期にスペインの名曲にたくさん触れたことは、きっと私の人格を形成する何かになっていると思う。別に結論もオチもない思い出話でした。(笑)
蛇足だけど、少し日記。今日も調子が悪い双子1号を在宅勤務前に診療所へ連れて行く。検査してもらったところ、幸いコロナもインフルも陰性。明日の文化祭は行けるか?
リビングで仕事をしていたら、午後、外から男の子の鳴き声が。隣のアパートの玄関の前で小学生の男の子が座り込んで「ママ〜!」と泣いている。2年生だ。ずっと泣いているので庭に出て柵越しに声をかけた。学校から帰ってきたら玄関が閉まっていてママがいなくて家に入れないようだ。ママの自転車はある?と聞いたら、ないと言う。それならお出かけしているのかな?もう少し待ってれば帰ってくるんじゃないかな?少し落ち着いて、涙はおさまってきたけど、彼を残して家に入っちゃうわけにもいかないし。お菓子でもあげようか?でも、よその子に迂闊なモノは食べさせられないなー、とか。私も「困ったね〜」とかしか言えることがない。そう思っていたら、そのうちランドセルにつけた小さな端末が鳴った。「ママからメールだ!」と言って彼が操作すると、ママからのボイスメッセージが流れて、私にも聞こえた。「今日は学校早い日だったね!ごめんね、すぐ帰るから!」みたいな内容で、ほどなくママが大急ぎで帰ってきた。男の子はママに縋り付いて号泣。よかったね。
神奈川県葉山町/57歳