数えてみよう
10月中の選挙はなさそう?というムードになったのでとりあえず今日は休み。油断はしないけど。 で、アシナガバチの巣に向き合...

風早草子
カザハヤソウシ
2025年11月11日
国会中継を横目で見つつ、ネットに溢れるニュースをチェック。有象無象の情報が溢れている。Xの投稿やYahooニュースのコメント欄の反応も見る。Xへの投稿って、してる人は、知り合いには一人もいないな。有名人、インフルエンサーなど以外だと誰がやってるんだろう?失うものがない無敵の人?リスクを恐れない情弱な人?あるいは職業的に世論誘導をしているステマ的なプロとか。どっちにしても、それが世論とは決め難いのだけど、目に見えるので、あたかもそれが世論のように言われがちな世の中は危ない。やろうと思えば、操作可能だからだ。Yahooニュースのコメント欄は、Xよりはハードルは低いと思うので、もう少し一般論かもしれないが、これも色々問題は多い。エキスパートとか言って、コメントがトップで掲載される人物が、別に中立でも公正でもない人だったりする。私が見れば、「え?この人?」と思うが、知らない人は、素直にエキスパートの意見はそうか、と思ったりするかもしれない。Yahooニュースのコメントは、数が膨大なのである程度、世間一般の受け止め、と考えて、業務に関係があるテーマのニュースの時は時間をかけて読み込むこともある。数が多いので、世論操作やステマとかばかりではない、「普通」の人の書き込みが一定割合を占めているとは思う。ただこれ書く暇人って現実的には誰だろう?とイメージすると、ある程度高齢、60代以上?の男性像しか浮かんでこないのだけど。まあしかし、世の中、曖昧な話とかエビデンスの不明な情報を「信じやすい」人が多いなーと思う。お気楽というか能天気というか。疑り深い私には信じ難い。

なんか疲れたので気分転換に、目についた本を衝動買い。室町時代、無法地帯っぽくて面白そう。応仁の乱とかって、何を読んでも結局理解不能な気がする。(笑)

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でも、いくらグズグズの室町幕府の時代であっても、一応政治は行われていたわけでは無政府状態だったわけではない。だからそれなりに息苦しい中で人々は生活していたはず。そんな感じを妙に生真面目に描いているのが、パトレイバーのゆうきまさみ氏が北条早雲を主人公に連載している「新九郎奔る」だ。北条早雲を描いた小説だと司馬遼太郎の「箱根の坂」がある。これは抜群に面白い。

どちらにしても、この時代の史料というのはとても少ないので、クリエイターは無限の隙間を想像で補って描くほかない。その想像にどのくらい読者がリアリティーを感じられるか?というのが描き手の腕の見せどころ。司馬遼太郎はそういう部分が抜群にうまいのだけど、彼の小説は、つまらないところ、意味のわからんあたりは大胆にスキップしてあるので、読みやすくて面白い。北条早雲の場合、応仁の乱から始まっているのだけど、乱の結末までは描かず、さっさと駿河下向に進んでしまう。一方ゆうきまさみ氏の方は、そういう行間のグズグズを懸命に想像して丁寧に描いている。北条早雲、すなわち伊勢新九郎なのだけど、若き日の備中の小さなな領国の経営の苦労や幕府の行政機構の中での小さな役職にありつく苦労とか。そしてこれが見事に面白くなくて退屈。(笑)この人マジメな人なんだろうな、と思ってしまう。でもこのあまりの退屈さ、創作的なカタルシスの無さっぷりが逆におもしろくて、室町時代のリアリティーを感じてくる。登場人物も膨大だ。
ちなみに北条早雲は昔からその生まれ年に2説あって、司馬作品は年上の方を採用していて、早雲は太田道灌と同い年。なので駿河今川に嫁いだのは妹だが、ゆうきまさみの早雲は最近、有力な約20年生まれが遅かった説。なので駿河に嫁いだのは姉。司馬作品の早雲は、伊勢家という名門の端に生まれつつ、妻子も持てずに世捨て人のように達観した人生を送っていたのが、妹の危機に駿河に下り、人生晩年から大活躍していく、という話。一方、ゆうきまさみの若い新九郎は、応仁の乱後も従兄弟の伊勢家当主の貞宗や細川政元にあれこれ使われて四苦八苦している立場。物語としては司馬作品の方が面白いと私は思うけど、ゆうき新九郎のリアリティーはこれまたすごい。大変な労作だと思う。
ちなみに重要人物の細川政元。応仁の乱の東軍総大将だった勝元の息子で、名門細川家を継いだ新九郎より10歳年下とされる人物。大変な切れ者である一方で修験道に凝って妻子を持たなかったり、当時の常識だった烏帽子を被らなかったりと、かなりの変人だったらしいが、漫画で描くと大変キャラが立って面白い。のちにクーデターを起こして将軍をすげかえるという、実質的に室町幕府を骨抜きにする、時代のターニングポイントを作る人物でもある。しかし、進行の遅いゆうきまさみ作品、いつになったらそこまで辿り着くやら。(笑)
室町時代は、残された記録が少ないので、司馬作品にしても、ゆうきまさみ作品にしても、多くは作者のイマジネーションで作られたもので、フィクションだ。でも、残された史料に厳格すぎる歴史学者とか考古学者よりは、私は信用(?という表現が適切なのかわからないけど)している。歴史の中には記録されたものより、記録されなかったものの方が多いし、史料に記録されているからといって、それが正確かも信用できるかも、そこまで厳密には検証出来ないし、そもそも記録した人間のフィルターがかかっている。そういう怪しげで少ない史料をこねくり回して無理やり、説を導くよりも、こういう状況で当時の人間は何をどう考えてどう行動するだろう?という作家の想像の方が的を得ている可能性はあると思う。
ちなみに現代の世論。ネットに記録されている声だけが後世に残されて、あの時代の日本人はそういう考えだった、という歴史にされたら嫌だな。

神奈川県葉山町/58歳