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    風早草子

    風早草子
    カザハヤソウシ

    実家泊

    父の仏壇に線香を供える。

    昨夜の忘年会、深酒して深夜に葉山まで帰るのは大変で危険なので、大森の実家に泊まる選択をした。6月に母がグループホームに入り、現在は無人。シーツや布団を洗ったり干したりするのも面倒なので寝袋持参。

    記録を調べてみると、実家に泊まるのは2年前の5月以来。この時はマンションの排水設備の更新工事があり、洗濯機を動かしたり、日中トイレが使えない時間ができるなど、かなりの大事だった。心配する母が数ヶ月前からノイローゼ状態で、結局、私が数日泊まり込んで、片付けや工事業者の対応にあたった。全部私が対応するから心配しなくていい、といくら言っても、「もしああなったらどうしよう?」みたいな心配を無尽蔵に肥大させて、延々と私に聞いてくるのに辟易としてしまった。あの時点で認知症の症状はかなり進んでいたのだろう。

    3年前に父が亡くなって一人暮らしになったあと、妻が子どもたちを連れて割とこまめに訪問してくれたりしていた。そしてその年の年末は私が双子を連れて30日から泊まり込み、大掃除などをして正月を迎えた。でもすでにその辺りから、とめどなく湧き上がる心配と物忘れで、常に動き回り、心配事を聞き続ける状況で、普通の神経でともに過ごすのは、非常にしんどい状態だった。そのため、以降はケアマネさんらの支援を受けて、訪看さん、ヘルパーさんら、外部のプロの力を借りて、母の生活が成立するように兄夫婦とともに手を尽くしてきたのだが、それも限界を迎えて、ついにグループホームに入ることになったのが今年の6月。そして母がいなくなった実家に私が2年半ぶりに泊まったわけだ。

    部屋には母が飾っていた孫たちと撮った写真がたくさんある。まだ元気だった頃の父もうれしそうにしている。母と私の関係は、思春期以降、一貫して微妙で私は母に冷たい息子だったと思うが、「おばーちゃん!おばーちゃん!」とよく懐いていた子どもたちが私の代わりに母孝行してくれたと思いたい。長女から双子まで、うちの子どもたちは実家にずいぶん泊まっていたし、父と母に色々な場所に遊びに連れて行ってもらい、たくさんのものを買ってもらっていた。そして父も母もそういう時間が何よりも楽しそうだった。

    この写真は双子が1〜2歳に見える。とても幸せそうなショットだけど、それから13〜4年経つと現在の無人の実家、というわけだ。万物は流転する。老いや病は誰にもやってくるし、その一方で子どもたちは大きく成長していく。当たり前のことだけど、それを意識して、現在の幸せを愛しんで生きていきたいと、無人の実家で思った次第。

    グループホームからの便りのよると、母はそれなりに機嫌良く平穏に暮らしているらしい。私や兄の顔を見なければ、不満とか怒りとか不安を訴えないのではないかと思っている。そういう母に子どもたちを会いに行かせることが、互いにとっていいことがあるのか、ないのか、判断はつきかねているが、正解もない気がしている。

    そんな実家からの出勤。年の瀬も迫ってきたが、ようやく仕事が少し動き始めている。レッツゴー現場!そしてサラリーマンとしての査定。三面六臂の活躍を穏当に評価され、それは良しとする。ということで、家に帰って景気づけにターキーを食ってやった。ワインは珍しくコルクを抜くやつを奮発。(笑)師走の残り、頑張りましょう!

    書き手

    海秋紗

    海秋紗

    神奈川県葉山町/58歳

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