大人とは、ドリンクバーで水数滴しか飲まない人のことをいう。
ドリンクバーで落ち着ける人になる! 一杯だけで満足できる人になる。 が分かりやすくて究極だと閃いた! 私は...

もしもし五島列島
モシモシゴトウレットウ
2026年1月24日

最近、寿司運がない。
というより、今までが寿司運がありすぎた。
寿司屋にホールのバイトで入ったのに、握ることになってまかないでたくさん寿司食べれたり、1日しかいかなかったスナックの単発バイトの日に「のどぐろの寿司」を30巻もたっぷりもらえたり(この頃はのどぐろの価値分かってなくて、穴子くらい気軽に食べてた。穴子の価値もわかってない。というか、穴子は立派だ。)
定期的に入っていたスナックの方では常連さんが寿司屋は好きだけどかんぴょうしか食べれなくて、コース2人前食べれたり、イオンの半額寿司が運よく出会えたり、GOTO EATキャンペーという伝説の国がコロナ禍に行っていた外食促進キャンペーンではくら寿司に何度も行ったり、たまにいく寿司屋の大将は、そんなに常連じゃないのにさぞかし鬼常連かの如く過剰サービスしてくれたり(多分誰かと間違えてる)
スーパーで買う太巻きがちょっと気持ち大きめだったり、稲荷の皮も分厚めだったり、とびっこはパックの隙間に入って取れないってことも私はあんまりなかった。挟まっていても救出できた。
回転寿司のいくらも、皿に張り付いて、その一粒いくらが爆発して台無しになる。みたいなことも全くなかった。
とにかく言い出したらキリがないくらい、私は寿司運がある。
生まれ持った強運からくる余裕なのか、「寿司そんなに好きじゃないんだよね〜」と今までの人生で何度行ってきたことか。腹立たしい。
本当は大好きなのに。
小学生男子が好きな女の子に「ゴリラ!」と行ってしまうのと全く別次元で私は寿司のことをかなり軽視してしまっていた。
最近になって、素直に、「寿司が好きだ〜!」と世界の中心で、歩道橋の上で愛を叫んでいるし、回転寿司のために頑張って労働もするし、寿司屋のカウンターで出来立ての寿司を食べる喜びも知る。
シャリとネタがこうなって、口に入れた時こうなるのか。と。
多分わかってないけど、寿司についてわかった気がする。
寿司に愛を叫び出したら、寿司運が減ってるような気がする。
最近行くスーパーのネギトロ細巻きのネギトロが見えない。
これは海苔巻きなのでは。と思うくらい見えない。紙くらい薄い。紅生姜の方が分厚い。
この前は、出張寿司の振る舞いで、ビーガン対応で、「野菜寿司」というものの、普通のお寿司たちがあって、「野菜寿司おいしそ〜初めてみた」と言ったら私には野菜寿司しか回ってこなくて、手の届く範囲に生魚の寿司があったのに、これには手をつけられなくて(言葉で説明するのが難しくこの時の再現ドラマが欲しい。とにかくおじさんばかりの空気感と圧で。)生魚の寿司を目の前にしながら野菜寿司を数巻食べた。生魚・・・・・・・・・・・・・。魚がどうしても食べたかった。生き物よ。冬の新年会で、暖房ガンガンの現場、最後、カッピカピになったネタだけを無理やりお茶漬けにして食べてる酔っぱらいに給湯室のやかんそのままかけてしまいそうになった。カピカピでもいいから生の命をいただきたかった。
そして昨日。寿司オードブルを頼んで、祖母と一緒に祖母の家で食べようということになった。
野菜寿司の件があって、1ヶ月、カニカマしか食べてなかったので、念願の寿司。昼も軽くした。
だけど実際行くと、自分の料理を振る舞いたい祖母の大量おでんの練り物(長崎のおでんは練り物が多いからとにかく胃が膨れる。美味しいんだけどね)と丼の味噌汁でお腹いっぱいになってしまった。
歯が弱いから、タコが食べれないといった祖母に、唯一の「ネギトロ」を譲った。
譲ったら「私は魚がいいわ」とネギトロ軍艦を箸でぐっちゃぐちゃにして不機嫌な顔でサラダのハムと一緒に食べていて、人生で初めて祖母のことを強く睨んだ。食中に。
けど、ネギトロというものは確かにそう言う存在である。
ネギトロがそんなに好きなら、なか卯でネギトロ丼を頼めばいいのに、ネギトロ丼というのは一向に頼みたくならない。
蕎麦屋においての蕎麦セットのミニ丼だったとしても選ばないのがネギトロ丼。
スーパーで買うのが薄すぎて見えないけど、それだからいいのかもしれない。海苔巻きというかもはやご飯としておかずと一緒に食べてる。揚げ物のお供にいい。
失ったものやないものに目を向けず、今まで私が置かれていた幸運や今の幸運に目を向けていたい。交換したタコはとっても柔らかくて美味しかった。