自我捨てまくれ。
あれ・・?タイトルだけあって、中身なんか無くなってて謎だけど、4月1日にこのタイトルってことは今年は自我を捨てなきゃな年...

もしもし五島列島
モシモシゴトウレットウ
2026年5月30日

中学生の時、私はバレーボール部に入っていた。
しかし、どう考えてもバレーボールに向いていなかったのはわかっていた。
それなのに毎日必死に部活へ行き、必死に食らいついていた。理由はただひとつ、友達関係を壊したくなかったから。
あの頃の私は、純粋にスポーツを楽しんでいるというより、目の前の「毎日」をどう乗り切るか、どうにかして食らいつくかということばかりを考えていた。
運動神経もないし、バレーの技術もない。自分に向いていない場所にしがみついている時間が、たまらなく情けなくて、惨めだった。
そんな苦い記憶を、ふと思い返してみた。
「あの時間、いろんなことを頭の中でパンパンに考えすぎていたな」と。
バレーが下手くそだったんじゃない。
妄想家の私は、考えすぎているから、次の行動がワンテンポ遅れる。考えすぎているから、飛んでくるボールがまともに目に入らない。私は自分の運動神経が最悪だと思い込んでいたけれど、本当はそうじゃなかったのだ。ただ、バレーボールというものに対して、集中力が「散漫」になっていただけだった。
きっとこの世の中には、かつての私と同じように「自分はこの場所に向いていないかもしれない」と落ち込み、注意力が散漫になってしまっている人がたくさんいると思う。
でも、それはあなたが惨めだからでも、能力がないからでもない。ただ、頭の中が忙しくて注意力が散漫になっているだけだから、落ち込む必要なんてどこにもないのだ。
今になって思う。
あの頃の私が学ぶべきだったのは、「どうやったらバレーボールが上手くなるか」という技術論ではなかった。そうではなく、目の前のひとつのことにグッと入り込む「集中力の極め方」の方だったのだ。そして、周りにいる「集中力が素晴らしい人たち」の姿を見て、その心の置き方を勉強すればよかった。
向いていない場所で戦うのはしんどい。けれど、それは自分の才能のせいではなく、心のアンテナがいろんな方向へ向きすぎているだけ。そう気づけた今なら、あの情けなかった毎日のことも、どこか愛おしく思える気がする。