昔、仰天ニュースで父親が車の下敷きになって、娘が助けたみたいなエピソードを聞いて、「どうにかしなきゃ!」の時は火事場のばか力が(かじばのばかちから?)発揮するからなんでもできる。

なんでもできるとは言ってないけど、人は想像もできないようなことができてしまうという話を強く覚えてる。

そのため、「人生何とかなる」と思いすぎて、予定もちゃんと確認しないし、仕事も雑だし、やらなきゃいけないことも全て先のばしにしてる。

かじばのばか力 が漢字がわからん。

正確には、パソコンで打ってるから漢字は色々出てくるから意味自体がわかってない。火事なのか、鍛治なのか、火事はの意味わかるし、漢字が『家事』ではないこともわかるから、『鍛治』の意味がわかればわかるのかもしれないけど、これがわかってもわからない。

今日、「缶バッジ体験!」という文字を急遽、書かなきゃな時間が来た。

いろんな人に見られながらペンを動かす。

「缶」がわからなかったけど、見切り発車で勢いよく書き始めたら、間違っていた。

間違いに気づいたのは、「缶」の書きはじめの棒を飛び立たせたまま、ペンを一旦置いて、スマホで緊急の連絡の如く調べさせてもらったから。「缶」という漢字を調べる人なんていないから、Wikipediaすら出てこず、最近の缶ジュースや缶なんとか事情でGoogleが溢れてた。

飛び出させてしまっただけだったので、太字にして、押さえたらまるで全く間違えてないかの如く綺麗に誤魔化せて嬉しかった。

2を3に書き換えるときは無理やり感出ちゃうけど、これはまるで「缶」を知っていたかのようにかけて嬉しかった。

しかし、「バッ」を書いてすぐ隣に短め上めの「ノ」を勢いのまま書いてしまったけど、もしかしたら違うかもなあ、と思いながら手は止まらなくてそのまま「チ」と書き上げてしまった。

そして、まるで「缶バッジ」は「缶バッチ」が正しいかの如く、堂々と、丁寧に張り紙をした。

「チ」に心のこりをささげまくって過ごす一日。目に見えるいろんな「チ」が大きく見えすぎる。むしろ私を威圧して襲ってきてる。どうしよう。もうペンの蓋も閉じたし、それどころか、その張り紙からもう10メートルくらい歩いてしまった。

今更戻れないし、戻ったところで、「チ」を「ジ」にはどうしてもできないから、今は名前ペンで書き換えることより、今この世に生存している全ての人の「チ」の概念が「ジ」になりますようにって祈ることしかできない。懸命に祈ると、なんかみんなが「缶バッチ」の方が正しいよねって言ってくれそうな顔をしているふうに見えてきた。

みんなが許してくれてるはずなのに、やっぱり私はこの間違いを引きずりまくっている。辛い。全てがうまくいかない。トイレに行って、トイレットペーパーの取り方がわからない。

困った。うまくぐるぐるできない。

こんな人間レベル1の行為ができないほど私は大きくショックを受けていたんだ。

みて見ぬふりをしていた「身近」のふりがなを「みじか」と書いてしまった後悔が今やって来てるんだと気づく。

だってさ、「みぢか」って書いたらギャルじゃん。ギャルってわざと間違った言葉使いをしてそれが正しくなっちゃうのがギャルっていうかっこいい存在なんでしょ。大体、この世において「ぢ」が正しい読み方であるはずないって思ってた。(「まぢ」のせい)

はああ。悲しいな。

読み仮名も漢字もなんもわかんねえ。なのに、新しく商店を立ち上げようなんて考えてて、「缶」という一文字の検索履歴を塗り替えて「コミュニティカフェ 成功事例」と調べ始めてしまった。開いたPDFを雑に読んで、広告で出てきた、「ランチマネーセミナー」を間違いじゃなく、本気クリックして申込まで進もうとするけど入力がめんどくさくて諦める。缶バッジがわからんやつがマネーセミナー行ってもただその時間のお腹が満たされるだけ。

最近、会う人みんな年下。年上って思っててもだいぶ年下。悲しい。

自分だけ時空が違うのかもしれない。

だって、母から「あんたトイレットペーパー短く使いすぎ」といつも言われて、別に一緒に行動してる訳でも、私がトイレ入った時にストップウォッチを押してるわけでもないのに「なんでわかるの」と聞くと、「破り方でわかる」らしい。確かに人よりトイレットペーパーを使ってない自信は小さい時からあるし、これが特技。だけど多分人と時空が違うから自然とできていることなのかもしれないって思った。