周りからしたら迷惑なはなしだけど、毒をだしていったら良化傾向。「どう考えても」「ふつーに考えて」「誰がみても」みたいな枕詞をつけたくなる感情も、そう思うのは自由だけど不貞腐れていても状況はかわらないから、そういう時こそ、より丁寧に説明する必要がある。丁寧と簡潔はちがうし、相手をおもんぱかる余裕は正直ないけれど、もう少し頻繁にガス抜きをし、疑問点やモヤモヤも温度差がうまれぬうちから、解決ではなくとりあえず共有がだいじなのかもしれない。

 

夫婦のはなし。

すごく良くない言い方とやり方で、今日という日を切り拓いた。

言い方とやり方を間違えなければ、いい1日だったのに。

一言一句すべてを知って欲しくて、伝わって欲しくて、感情の隅々を説明していると、それはただの暴力にしかならなくて、自分は既にボロボロだから君もあるていどはボロボロになったってくれたまえよ、とでも言わんばかりの文句のシャワーをあびさせる。

あきらめているのに期待する、他人に。家族にはもっと、あきらめきれない期待がある。両親とはぶつかって、ぶつかって、未だに完全に解り合えないのに期待していつも必要以上に説明する、否定する、語弊をさけながら、鋭く熱く。所詮べつの人間だからっていう線引きするしかないのだろうけど、だったら暮らしをともにする必要がない。結果わかり合えなくても、1ミリでもわかってもらいたい相手と暮らしている。

茨木のり子の献立帖は、作れたためしがないのに子どもの絵本のついでに借りてしまう。単純にこの表紙がすきなんだな。