子どもはトーマスのことを“パパ”と呼ぶ。

今みたいにトーマスとその仲間たちを心から愛する前、

電車キャラのうちのひとつ、と認知していたころ

まだ語彙が10くらいしかなかったころ

たしかにパパに似ていなくはない。パパは一重(片目は帯状疱疹にかかってから二重)&眼球が大きいので、目をクリッとさせた表情にすると目元はソックリだ。

語彙がふえた今、“おっきいパパ”、“ちいさいパパ”、“くんのパパ”で使い分けている。順に、学研のおもちゃの大きいトーマス、プラレールのトーマス、本物のパパのことを指す。

2週間前くらいに、ついにプラレールに命を吹き込んでみた。つまり乾電池をいれること。子どもも取り扱いが上手くなり、ちゃんと回収するようになったのと、風を拗らせて家の中にいる時間が増えたから。

説明書は見ない派のわたし、もちろんプラレールなんかは即捨てである。しかしトーマスの電池交換はちがった。開けちゃいけないところを開けてしまったと気づくのは早い。謎の紙がでてきた瞬間、身体が拒否反応をしめした。

理科だ!これは立派な理科。モーター?にハリガネ?みたいなのをさして、なにかがおこらないように紙がのっかっている。

こうして無理やり蓋?をしようにも、なにかがしっかりハマってないから噛み合わず。結果くるしそうなパパことトーマスが横たわったままになっていた。

しばらくして、子どもが“ちいさいパパ”をさがすようになった。具合がわるいとかで誤魔化していたけど、ついに机の上にいるのをみつけた。はらわたがでているような様子をみせて「ちょっと調子がわるいからママがなおしている」と説明して納得するしかないという感じだったけれど、日に日に小さいパパを本気で心配しはじめた。

わたしは疲労困憊の木っ端微塵の理科だいきらい人間なので、後回し後回しにしていたけれど(夫にこの一連の流れを共有するのすら面倒だった)子どもが無事昼寝に就いたいま、とりかかることにした。

ネットて便利だ。全部ある。というか「トーマス プラレール 分解しちゃった」と予測すらされる。

ああ!説明書をみない雰囲気で生きる同士たちよ!

なんでトーマスだけこのネジやねん!で乾杯したい。

本気出せば理科むりむり人間のわたしもすぐ元通り、先人たちよありがとう。