
教育実習に来ていた長男が鹿児島へ帰っていった。大男もさすがに前ほどは食べなくなった印象。まあそれでもやたら冷蔵庫を開けて間食はしていたけど。滞在中、何度も夕食を担当してくれて助かった。また7月にもくるらしい。大学4年生、大学院へ進むつもりということで、院試とか色々あるらしい。逆に卒業に必要な単位は十分であとは研究だけみたいな感じということ。どういう進路に進むのやら。
在宅勤務。新しい部署の会議に試行的にオブザーバー参加。うーむ。今すぐにリストラしたくなってきた。(笑)

表題の本がこちら。私がおそらく小学生の時に買った本で、結構好きで何回も読み直している。子どもの頃、いわゆる物語的な本も、鳥、動物、生き物が出てこないと手が出ないタイプだった。ファーブル昆虫記、シートン動物記的モノ以外だと、椋鳩十とか戸川幸夫とか。人間しか出てこない話に手が伸びなかった。そんな中、この本はまさにシカの表紙だったのでストライクゾーン。
舞台は第二次世界大戦後のアメリカ、フロリダキーズの辺鄙な島々。これらの島に生息する離島で小型化したシカ「キーディア」とそれを守ろうとする老人の物語。私はかなり好きな本でいい話だなーと長年思ってきたのだけど、ネット上には評論や感想が皆無。私が抱いたような感想や同じ疑問に出会えないかな?と思っていたのだけど、この物語、なんとGeminiは読んでます!というので、思わずGeminiと読書会をやってしまった。思った以上に楽しくて、長年の溜飲が下がってしまった。(笑)
この話はフロリダキーズの先の方の島にエンジン付きのボートと小屋で世捨て人のように暮らすヒッケイという屈強で変人の老人が主人公。古くから島で静かに暮らす老人だが、戦後のアメリカの好景気の中、フロリダキーズにハイウエイが開通し、開発が急速に進み、無法者のハンターもやってくるようになり、老人が愛するキーディアが絶滅の危機に瀕していることにヒッケイが心を痛めている中、ヒッケイが親ジカを事故で失った子鹿を保護して、また夏休みに姪の息子を預かることになったことから、様々なことが動き始めるお話。
原作が出たのが解説によると1954年なので、まだ戦争の記憶が生々しい時代だ。物語には人物の説明はほとんど何もないのだけど、大きくなって読み返すと、そのあたりが気になってくる。ヒッケイが、愛する孤独な生活を曲げて姪の息子を預かるのは、姪への同情があるからだ。物語の中では夫を亡くし、一人で4人の子どもをマイアミで育てていると説明がある。父を亡くして長男のジャックは手がつけられないわがまま息子になってしまい、姪が困っており、夏休みに少しでも預かってくれないか?と頼んできた、という話。何も説明はないのだけど、きっと姪は戦争で夫を亡くしたのだろうな、と想像するようになった。そういう姪の気の毒な事情に同情があるからヒッケイは、小生意気なわがまま小僧を2週間だけ、と言って嫌々預かるわけだ。
そしてそもそもヒッケイがなぜ、こんな島で一人、世捨て人のような生活をしているのかも作品中に説明は一切ない。ただもともと島の人間ではなかったことは想像が付く。そしてヒッケイには正義感もあるし、一定の教養の持ち主であることも感じさせる。なので、これも大きくなって読み返して想像したことだけど、きっとアメリカ大恐慌の時代に、色々失い、絶望を味合わされて、世を捨てた人物なのではないか?と思ってきた。
そんな想像と疑問をGeminiに聞いてみたところ、それは当時のアメリカの状況に照らして、とてもリーズナブルなのでは、という意見だった。1954年当時のアメリカでは戦争で夫を亡くして苦労する姪のような人物も、大恐慌で多くを失った人物も、ありふれていて、作者が作品中で説明しなくても、当時の読者には想像が付くものだったのだろう。現在の私たちがこういう作品を読む時には、そういう補助線を引きながら読むとより、物語の味わいや深みが出てくるように思える。
まぼろしのシカは、生意気でわがままで小太りの少年ジャックが、島に来て子鹿と仲良くなり、それを守って無法ハンターと対峙するヒッケイと過ごす中で、2週間が4週間、6週間となり、休みごとにずっと島にやってくるようになり、正義感が強い逞しい背の高い青年に成長していく物語でもある。青年になったジャックがヒッケイたちを守って無法ハンターの前に立ちはだかる勇気ある若者に成長するところが見どころだ。そしてこれ、ヒッケイの描かれていない前半生に補助線を引いて読むと、絶望で世捨て人のように生きてきた自分を肯定し、後を継ぐ若者を育てられたことでヒッケイはきっと「救済」されたのだろうな、とより強く感じる。いやいやGeminiのおかげで、まぼろしのシカを久しぶりに味わい直すことができて嬉しかった。
ちなみに日本語訳版ではヒッケイとなっているのだけど、おそらく英語の原作で学習していると思われるGeminiはヒッキーだった。原作の綴りはHickeyらしいので、ヒッキーの方が原音に近いのだろう。当時の訳者が「ヒッキーじゃ宇多田ヒカルじゃん」とは思ってないだろうけど、まあ島で一人暮らす変わり者の老人だとヒッキーよりヒッケイの方が良いと思ったのだろう。
ちなみにまぼろしのシカは、NDL、国会図書館デジタルの送信サービスで全文オンラインで読めます。
なお、AIはこの手の著作物の多くはすでに学習済みで、私との会話もリアルタイム検索をかけずに、収納されているナレッジだけで行っているということ。その関係でGeminiに聞いたのだけど、日本は著作権法30条の4で、AIの学習目的に使う場合は、著作権者に許諾が不要、という非常にAIテック企業には天国のような法律のある国だということ。それと古いコミック作品も非常によく学習して知っているのだけど、そういう学習材料の多くは、由来はかつて全国のマニアが違法にスキャンしてデータをファイル交換ソフトWhinnyでばら撒いたようなグレーなものに依存しているらしい。テック各社は自分からは決して言わないが、知る人は知るAIのディープラーニングの裏面史らしい。




