
豊かすぎて悔しいんだと思った。
生意気である。生意気すぎる。いつも、どこにいても。
どこかにいったり、人と会ったり、コミュニティに属するたびに、自分の幼さと無力感でいっぱいだった。いつもいつも情けなさや悔しさやもどかしさでいっぱいになるから、もう出かけたくもないし誰とも会いたくないとなる。
島で家があってごはんもお小遣いも与えすぎるくらいくれるおばあちゃんがそばにいて、24なのに一日中ぐうたら犬と寝てるだけでもだれからもなんともいわれない。むしろ褒められる生活を送っていると毎日ぽかぽかする。
ずっといつか、大谷翔平みたいな存在になりたかったけど、島での時間が長くなればなるほど、大好きなおばあちゃんと一緒にいればいるほど、大きな成長より日常ばかり優先していてここ最近は生活が進んでいない感じがしていた。
それでも、のんきだなぁ〜と深呼吸する時間が好きで、いろんなことをまあいっかと投げたり、あきらめたり、逃げたりしていた。
世界のことも世間のことも、なーんにも、知らなくても呑気に楽しく生きていけて、悔しい思いをしてもなお、再び一瞬でのんきにもどれること。
経験させてもらったこと、体験させてもらったこと、人に言ってもらったことをまるで忘れたかのようにゴロゴロしている。
自分から出る言葉がいつも薄っぺらくて、浅はかを体現してる、何もできなくて、何もしてないくせに毎日楽しすぎることにイライラしている。
この世をディズニーランドと捉えすぎていたから、もっと私はキャストになりたいと思った。
人になにかを与えるなら、まずは自分を満たしてから。と思っていたから常に自分勝手にのんびり生きてきたけど、そうじゃなくて、誰かを幸せにするから自分も一緒に幸せになって、幸せとか豊かさは1人で独占したりたくさん勝ち取るものじゃなくて分け合ったり共に作っていかないと生まれないものと気づいた。
私の愛するおばあちゃんが誰にでもかれにでもなんでもかんでもお金や物をすぐあげるのがとても嫌だった。
私にだけくれればいいのに!と毎日怒ってる。
だけどそうやっておばあちゃんがしてきたことで私まで豊かになりすぎている。おばあちゃんが紡いでくれた豊かさで毎日をわっしょいできてるから、私も早くおばあちゃんにならなければいけない。
偉い人より、いい人になりたいな〜と気づいてから、「いい人風」に見せる活動やそのための引き出しをたくさん作ってきた。
それをする中で「本当にいい人」たちにたくさん出会って、くらって、ダウンしてきた。私はいい人になるのを諦めた。
おばあちゃんのことを好きすぎてあんまり客観視したことなかったけど、そういえば、私のおばあちゃんはいい人である。
いい人はとてもあっさりしてる。いい人はいい人っぽくないのかもしれない。だから私が言う「本当にいい人」の概念も、一見みんなから気づかれてない人たちのことを言う。ほんとにね、素晴らしいの。だけど、私はチヤホヤされたいからこんなひとになりたいと口では言うものの、正直なりたくない。なれないのは周知でそれを通り越してなれるとしてもなりたくない。いつも神輿の上に乗っていたい。
嫌だな
また自分の軽さと調子に乗って全ての大事なことを落としてしまうのが出てしまう、楽しんでしまう。踊ってしまう。
どこにいくたびにも、たった一食のごはんだったとしても「調子に乗らないように」と毎回母からLINEをいただくおかげで今私はいろんな人の中であたたかさにたくさん触れて関係性をギリギリ保つことができながら生きていられてる。
「人のために」って言葉のなかには自分自身は含まれないと思っていたけど、この言葉には自分自身も含まれることを学びすぎた。
パトロールするアンパンマンのように行きたいけど、それだといい人すぎるからちょっと自我もあるチーズくらいがちょうどいいかも!那須でたくさんチーズ食べれて幸せだった。美味しいもの、命を感じるもの、大地を感じるものをなにも気にせず食べれる豊かさ。
いろんなことにもっともっと!と思いすぎちゃうけど、じゃなくて、「ない方が幸せなんだ」「足りないから豊かさを知ってるんだ」を常々確認してわーいな気持ちを叫び続けて誰よりもご機嫌に生きていきたい。そして私はまたいろんなことを忘れたようにぐうたらしてしまうので、私は運転免許を取って世界平和のためのキッチンカーでスナックのママになって、たまに寿司を握らない寿司屋をやろうと決めた!宣言!
そんなことより、「足りなさを味わう」っていい言葉でしょ。って鼻膨らませていたら、すでに本があるみたい。足りなさをたくさん味わいたい、深呼吸だけをしていきたい。大事なところは、ゆっくり焦らずに、だけど大事なところに向かうためには焦って生きたい。たのしい♩ワクワク




