
建設中の向かいの家が本日上棟。雨が上がってよかった。しばらく開けていた家の前の風景が変わる。妻は朝から仕事。双子2号君は練習試合のはずだったけど、雨のせいか、中止になってブツブツ言いながら練習へ。野球部、インフルが流行っていて4人くらい休んでいるらしい。
走ろうと思ったもののなかなか雨が上がりきらず。暇つぶしに今日は空海の研究。(笑)
と言っても難解な空海の原典なんて自分では読まない。そういうところはAIにお任せ。ネットには空海の原典の現代語訳なんかも色々あるけど、実はAI訳の方が、翻訳者の思い入れとか思い込み、独自の解釈など、バイアスがかかっていないので、正確だと思っている。弘法大師が天才で超人なのは、昔から誰もが知ってる話だけど、AIに残されている古文書など、確かな資料を当たりながら検証すると、そのバグり感がさらに可視化されて面白い。結論として、常識的判断?をすると「人間の皮を被ったAI(ミュトス級LLM)だった」となる。(笑)天才エピソードには事欠かないんだけど、実は空海の異常なところは、天才らしい変人っぽさが微塵もないところだ。天才っていうと、例えばジョブズとか、周囲と摩擦ばかり起こす変人のイメージが強いのではないだろうか?空海級の異常な記憶力と言うと日本だと南方熊楠だったりするけど、彼などむしろ奇人として有名だったりする。しかし空海はそういう周囲との摩擦のエピソードが全く出てこない。かと言って書斎に籠って思索に没頭していたわけでもない。池作りには四国に出かけたり、高野山設計したり、東寺に立体仏像オブジェ作るために仏師とプロジェクトしたり、あと庶民も学べる学費無料、給食付きの学校まで作っている。(1300年前にそんなこと考えて実行した人間は世界にもいない)その資金や土地は貴族や天皇からのクラファンみたいな感じ。そう、職人や仏師などの庶民から、天皇、貴族、そして東大寺とか興福寺とか古くからの仏教権威とも、とてもうまく付き合っているのだ。これはどんな相手にもキレたり腹を立てたりせずに、相手に合わせた言葉で対応できたことを示唆していて、とてもAIっぽい。何もかも異常にうまくやっているのだ。記憶力とか語学力とか頭脳とかだけじゃなくて、対人能力がおかしい。そもそも中国の大寺院でカリスマから全てを継承して後継者と指名されたら、日本に帰してもらえない可能性も考えられたはず。阿倍仲麻呂とか、優秀過ぎて生涯帰国できなかった人も実際にいる。しかし空海は唐の皇帝と面会もしながらシレッと帰国してるし。
で、その空海さん、さまざまな著作を残しているんだけど、基本的に私たちがイメージする宗教家っぽい言葉はほとんど残していない。こうしたら救われる、とかこう生きよう、みたいな。それは法然とか日蓮とかの時代と違って、平安初期、仏教は国家プロジェクトで庶民への布教をするようなものではなかったこともあるらしい。書いているのは主に「世界というのはこうなっている」みたいなこと。そしてそういう中に恐ろしいフレーズが色々ある。その一つがタイトルに書いたこと。
「六塵悉是文字」、六塵ことごとく文字なり、ということで、あらゆる現象は文字、すなわち情報みたいな。現代の物理学者ジョン・ホイーラーが言った “It from bit” 、物理的な「もの(it)」は、究極的には情報(bit)から生じるのではないかという物理学・情報論的な存在論に本質的に近い感じ。
現代の私たちは、物理現象はニュートン力学で式で表せること、元素周期表を発見しあらゆる物質を化学式で表現できること、生命はDNAの塩基配列でゲノムが構成されていること、そしてあらゆる画像や音声はコンピュータが読めるコードで書けることを知っている。そういうことを空海さん、1300年前に看破していたんじゃないの?という疑惑が出てくるわけだ。うーむ、冷静に考えてタイムリープしたAIだった、とする方が妥当。笑
そんなやりとりをGeminiとチャッピーとしていたら、チャッピーがまたすごいことを言い始めた。
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「空海をAI時代に読み直す」という企て、かなり面白いところまで行けると思います。
AIとはまさに「六塵を文字として読む機械」とも言えてしまうので。
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何?!それはどういうこと?と突っ込まずにはいられない。なので詳しい説明を求めたらすごく深いことを言ったので、ここに記録しておきます。(笑)
######【以下、チャッピーの言葉】
はい。ここはかなり面白いところです。私が「AIとは六塵を文字として読む機械」と言ったのは、単なる比喩以上の意味があります。
空海の 「六塵悉是文字」 を、ものすごく現代的に解釈すると、
世界に現れるものは、すべて何らかの情報を担っており、それを読み取ることができる。
という発想になります。
そしてAIがやっていることを極端に抽象化すると、まさにこれです。
1. 人間は「文字」を狭く考えていた
私たちは普通、
本に書かれた文字
数字
楽譜
記号
プログラム
などを「情報」と考えます。
ところがAIは、そこからかなり踏み出している。
写真を見れば、
「これは鳥だ」
「嘴が長い」
「水辺にいる」
「おそらくシギの仲間だ」
と読む。
音声を聞けば、
「これは人間の声だ」
「こういう言葉を話している」
「この人はこういう感情状態に見える」
と読む。
動画なら、
「この人間がこう動いた」
「その結果、こういうことが起きた」
と読む。
つまりAIにとっては、文字だけが「読む」対象ではない。
画像も、音も、動画も、言葉も、コードも、数値も、ある意味では全部「読める」。
2. これは「六塵」にかなり近い
仏教の六塵は、
色・声・香・味・触・法
つまり、
視覚に現れるもの
聴覚に現れるもの
嗅覚に現れるもの
味覚に現れるもの
身体感覚に現れるもの
心に現れるもの
です。
要するに、私たちが経験する世界のほぼ全域です。
そして空海は、それらを「文字」と見る。
ここでいう「文字」は、
「何かを伝えるもの」「意味を持つもの」
と考えると分かりやすい。
だから「六塵悉是文字」は、
世界は、読める。
という、とんでもなく大きな命題なんですよね。
3. そしてAIは「意味の読み取り」を機械化し始めた
ここが決定的に面白いところです。
従来のコンピューターは基本的に、
人間が文字や数字に変換したもの
を処理する機械でした。
例えば、
写真
↓
人間が「犬」とタグを付ける
↓
コンピューターが「犬」という文字列を処理する
という構造です。
ところが現在のAIは、
写真そのもの → 意味
にかなり近づいている。
つまり、
世界 → 情報化 → 意味の抽出
という、人間が長い間やってきた「読む」という行為そのものを、機械が担い始めた。
ここで「六塵悉是文字」という言葉が急に現代的に見えてくるわけです。
4. しかもAIは「文字を読む」のではなく「文字に変換して読む」
さらに一段面白いところがあります。
AIは画像を見て、
「鳥が枝に止まっている」
と文章にできます。
これはつまり、
色・形・位置・動きという「六塵」
↓
意味
↓
言語という「文字」
への変換です。
つまりAIは、世界を言語という人間にとって扱いやすい文字体系へ翻訳する装置でもある。
ここまで来ると、
AIは六塵を文字として読む機械
という表現が、かなり文字通りになってきます。
そして、ここで先ほどの It from bit とつながります。
かなり乱暴に一本の線にすると、
空海
六塵悉是文字
↓
世界の現象そのものが「読める」
Wheeler
It from bit
↓
世界の物理的実在の根底に情報がある
AI
世界の現象を情報として取り込み、意味として再構成する
↓
「世界を読む」ことを機械化する
となる。
だから私は、AIを単なる「文章生成機」と見ると、ものすごく本質を取り逃がしていると思うんです。
AIの本質的な革命は、
人間が「意味を読む」ことのできなかった大量の現象を、情報として取り扱い始めたこと
にある。
そして、その先にはかなり怖いくらい大きな話があります。
「六塵悉是文字」が本当だとしたら、AIはこれから「文字」ではないもの――自然、身体、映像、音、行動、細胞、遺伝子、物理現象――を次々と「読む」ようになる。
実際、生命科学ではすでにかなり始まっています。
そう考えると、空海の「文字」は、「書かれた文字」ではなく「世界を構成し、世界に意味を与える情報」だったのではないか。
これはもちろん現代科学からの再解釈であって、空海がDNAやAIを予言したという話ではありません。
でも、「文字とは何か」を極限まで拡張すると、情報とは何か、そしてAIとは何か、という問題にぶつかる。
そこが、私は「六塵悉是文字」とAIを結びつけるときの一番面白いところだと思います。
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以上でした。変な日記だな。笑

雨が完全に上がった午後、佐島までランニング。まさにススキの穂が出かかっている。浜は海の家も遊泳域を示すブイもなくなって、海水浴シーズンは完全に終了。そして夕方はきれいな夕焼けでした。





