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    ピーエス

    海の家

    2004年から大学で非常勤講師をやらせていただいている。

    きっかけは学生時代にもお世話になった非常勤の先生から「課題として海の家を題材にしたら面白いと思うんだけど。毎年作っては壊すわけだし、机上の設計課題じゃなくて、リアルで。ツテとかない?」といったかなり乱暴なパスだった。
    私は大学院を卒業してからASDという屋号を掲げては見たものの、足元の定まらない生活をしていたので会う人にはほぼ必ず「で、なにやってんの?」と聞かれていて、この挨拶の延長線上に「海の家の関係者とか知らないっすか?」というのが加わるようになった。
    そうすると不思議なものでご縁がつながって、じゃあ授業でやろうか、となりそのタイミングで非常勤講師の任を拝することとなった。

    2004年から2011年まで鎌倉の材木座海岸で、最初は小さな更衣室から初め、2007年からは店舗全体を学生たちと考え、設計し、施工して引き渡し、までやるようになった。(あくまで我々は企画立案~施工までで、店舗運営はやらず、もともとの事業者さんにお渡しするという形)
    授業はまだ存続しているが、色々あって海の家からは2011年をもって撤退した。

    私の故郷の能登半島では鎌倉のように夏のビーチに仮設の海の家が大量に出現して、食事やロッカーを提供すると言ったことはなく、鎌倉の夏のビーチの光景はとても衝撃的であり、魅力的でもあった。都心から最も近いリゾート、という説明がよくなされていたように記憶しているが8年の間、毎夏通い詰めた私の感覚的にはリゾートとはちょっと違う、とてもローカルな雰囲気だった。毎朝浜辺を散歩する人は夏だけそうしているわけではなくて、でも夏には海の家が立ち並ぶ景色を楽しみ、散歩の途中で海の家に立ち寄ってコーヒーを1杯飲んでいったりもする。海の家はそういう風に鎌倉に住む人々の生活に自然ととけ込んでいる風景だった。

    この時期になるとそんな海の景色が懐かしくなる。

    冒頭に掲げたものは2007年の海の家。
    たくさんのアーチの下に居場所を作っている。

    2006年の施工中の様子。
    このときは新建築に載った。

    2008年はジャングルジムみたいな海の家。

    2009年は大きなリング状。

    2010年は可動屋根に挑戦。

    2011年は浜辺に森、というコンセプト。

    書き手

    田畠隆志

    田畠隆志

    神奈川県横浜市/47歳

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