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    横浜の思い出(2012)

    かきぬまさんの日記を読んで、リンクして書きたくなった。
    勝手に交換日記。笑

    18で高校を卒業し、大学入学のために初めて一人暮らしをしたのが横浜で、以来、妻と結婚した最初の2年ほどを除いてずっと横浜に住んでいる。
    金沢八景→鶴見→新山下→打越→元住吉(川崎)→大倉山
    打越に住んでいたのが2012年頃で、これまでの私の人生において最も暗い時代で、地域的にも最も暗い場所だったかもしれない。このときすでに事務所はいまの花咲町にあったので通勤には長者町界隈を抜けていくことになる。

    長者町 雑居ビルの宇宙ステーション

    あの女は月へと飛んでいった

    長者町  ダーク・サイド・ヨコハマ

    地獄にいちばん近いヘブン

    かきぬまさんが引用している「長者町ブルース」のこの部分、まさにこの界隈を的確に表現している。近隣には寿町があり、反対側には福富町、その向こうには野毛がある。歓楽街であり、みなとみらいで綺麗に着飾った横浜の裏の部分。だけどここに横浜の歴史が凝縮されていると言ってもいい場所。

    家を出て、ドヤ街の活気等とうに失われ生活保護を反社に吸い取られ続ける寿町の脇を抜け、月曜の朝でもかまわず声を掛けてくる福富町のソープランドの黒服をかわし、まだ夜の続きを生きている人々の残る野毛の一角にある事務所へ出社する。

    深夜となり、野毛の街が「これが俺達の本当の姿だ」と言わんばかりにギラギラと滾る中、朝とは逆に山の手の方へ向かい、石川町の行きつけの店で一杯飲んで丑三つ時に帰宅する、というのがこの頃の私の日常だった。

    どこかですれ違っていてもおかしくないな。

    とはいえ、私はクレイジーケンバンドを聴くことはほとんどなく、多くの場合、オールドスクールなロックを聴いて過ごしている。そんな私がここ1週間ほどずっと聞いているのが、画家民謡クルセイダーズLA SEÑASをまとめて放り込んだプレイリスト。ライブハウスで働いたことは無いけれど、とある小さな野外音楽フェスの設営を5年にわたって担っていたことがあるのでリハの独特の高揚感は私もわかる。その高揚感と緊張感がないまぜになって本番で爆発するあの弾け飛ぶような感情も。そういえば画家に出会ったのもフェスの設営やっていたのもこの頃だな。

    結婚して、子どもができて、すっかり横浜のダークサイドには足を踏み入れることもなくなって、今日も事務所を出たら野毛に背を向けて駅に向かって一目散です。

    写真は2016年の春。大岡川と都橋の向こうにみなとみらい。

    書き手

    田畠隆志

    田畠隆志

    神奈川県横浜市/47歳

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