一瞬で癒
木曜、終日事務所。 茅ヶ崎の案件は計算の...
P.S.
ピーエス
2024年11月26日
saicoさんの日記を読んだら「全世界民族性別問わず、人生の中で一番キツイ坂道は47歳だったというデータが取れているらしい。」なんてラジオからの引用が書かれていた。かく言う私も47歳であるのでちょっと考えてみる。
この話の元を辿っていってみたらこんな記事が。調査の対象となった132カ国のどの国でも幸福度のカーブは年齢とともに下がり、47.2歳でどん底となる、ということらしい。つまりいままさにどん底に到達したということ?率直な感想として、まったくそういうふうには思えない。浮き沈みはあるが、日ごとであったり週ごとであったりするし、幸せを感じることもそうでないことも日々を過ごしていれば目まぐるしく起きる。
子供、妻、そして年老いた親戚がいる今、私の生活はこれらの場所を行き来するシャトルバスと化している。 過去20年間、仕事は絶え間なく停滞しており、家族の責任のおかげで可処分所得は圧迫されている。 私は睡眠を切望している。 私の身体は崩壊しつつある。
というブランチフラワー教授の言説にまったく心当たりがないわけではない。しかしそれはほんの一つの側面に過ぎないし、なんならそれらの中にこそ幸福は存在している。そういったことに対する感度の問題なのかもしれない。村上春樹はかつて「うずまき猫のみつけかた」で小確幸という言葉を生み出している。
生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきり冷えたビールみたいなもので、「うーん、そうだ、これだ」と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても「小確幸」の醍醐味である。そしてそういった「小確幸」のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕は思うのだけれど。
「うずまき猫のみつけかた」 村上春樹 1996
いずれにせよ、もしいまがどん底であるのだとすれば、このあとは登っていくのみである。それは非常に希望が持てることだ。
日曜のLB展にあったこれを貼っておこう。