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    AIとの付き合い方

    水曜、大学の授業へ。

    だいたいボーイと登校してからそのまま向かうので、私の担当する2校時目開始より1時間ほどはやく大学に着く。その後、購買へ行ってお茶を買い、講師控室で出校登録をしてから1校時目のチャイムが鳴るまでその日のスライドを眺めながら微調整する、というのがパターン化している。

    今日もそうして講師控室でスライドを開いたところで教務課の方から「毎年のことで恐縮ですが…」と書類を渡される。テストを実施するか否かのアンケートである。私の講義では毎年、最終課題にレポートを出題しているので試験は実施しない。実施しない、とした場合、「テストと同等とするか」という質問があり、同等とする、と回答した場合、不正行為が発覚したならばテストでのカンニングと同様の罰則となり、当該学生は他の受講科目においても評価はゼロになるらしい。

    ここからが本題なんだけど、レポートにおける不正行為って?となる。まあわかりやすいのは同じ授業を受けている友人などからまるっとコピーするパターン。とはいえそこまでお馬鹿さんな子はなかなかおらず、「たまたま似たような事書いちゃいました」くらいには偽装してくる。まあこれは可愛いもんです。

    いま私が目下頭を悩ましているのは「じゃあAIにレポートを書かせた場合、どう対応するのか」である。

    現在のところ、私の結論は「AIは是とする」というものであり、考え方を書くと、レポートを書くにあたり不足している知識や、参照すべき知見というものを補うにはどうするか。人はまず検索するのである。検索して発見し、見つけたそれらの材料を組み合わせ論述する。レポートの完成である。このプロセスを省力化、時短化するものがまさにいまのAIであり、そのように利用している人が多数と思われる。

    となると、やっていることは同じなので否定する理由もない。かつて私が大学生の頃なんかに「CADで描くなどけしからん。手描きこそが図面だ」といって憚らない教員がたくさんいた(いまだにいてびっくりする)が、けっきょく紙に出されてしまえば同じ図面なのである。

    とはいえ手描きを推奨していた人の言い分も理解できる。線を引いたら具現化されてしまう建築の世界において、「その線は何なのか」を考えて描くことは非常に重要で、CADは便利だけど簡単に線が引けてしまうのでその思考が浅くなることを懸念している。AIにレポートを書かせる場合の懸念点もまさに同様で、簡単に出力されたそれを右から左で提出されてしまっては、その人の思考が反映されているかどうか、こちらはまったく見抜けない。だからといって禁止にするのもある種の思考停止だと思うのでこの問題は厄介だ。

    となるとAIは是、としつつもどの程度プロンプトが練られているか、出力されたそれは入力意図に合致しているのか、それによって新たな知見を得たのであればそれはどんなことか、を問うことがレポートの完成なのではないか、といま考えている。

    いま私の講義を受講している20歳前後の学生たちが社会に出る頃にはAIはもっと身近で頼れる存在になっているのは想像に難くない。AIの使い方がわかりません、というのは20年前にパソコン使ったことありません、と言っているのと同様の意味を持つのではないか。で、あれば「どう付き合うべきか」を考えてもらうのも大事なことだろうと思う。

    ちなみにchatGPT先生には全否定されてます。笑

    書き手

    田畠隆志

    田畠隆志

    神奈川県横浜市/47歳

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