17119歩の日曜
日曜、妻の体調も良さそうだし、前から行きたがっていた森美術館の「ルイーズ・ブルジョワ展」へ。我が家はしょっちゅう美術館へ...

P.S.
ピーエス
2026年2月17日
月曜、10時から横浜山手で打合せなので、直行することにしてひとまず元町・中華街駅近くのスタバにピットイン。
打合せの予習などしてバスの時間を待つ。余裕をもってバス停に向かう途中、谷戸橋をしばし眺める。鋼製の3ヒンジアーチ。昭和初期のものなのでボルトではなくリベット。

山手方面に行くバスはそれほど多くなく、訪問先の最寄駅でしばし時間を潰す。(午後の打合せの場合、早めの時間についてもそのまま伺う事が多いが、朝一番の場合は極力時間ぴったりかもしくは数分遅れるくらいで伺うようにしている)
バス停の近くには打越橋があり、また橋を眺めて過ごす。こちらも鋼製だがさっきの谷戸橋と違って2ヒンジアーチ。谷戸橋とほぼ同時期に完成している。

北側に目を向けるとみなとみらい方面がよく見える。

脚部に目をやると支承が新しいことに気づく。かなり最近のもののようだ。

新旧が混在しているのでリベットと高力ボルトが並んで見える。さりげない、美しい工事。
と、こんなところに立って物想いにふけっていたらsaicoさんの「人生引越し何回目?」を思い出す。なぜならこの橋のすぐ近くに2年ほど住んでいたから。
生まれた家は築100年とも言われる古い家で、年寄りたちの話ではかつては名前の通り田畠を多数有した豪農で、その家も京都の家屋をバラして曳家したものらしい。そこで6歳まで過ごした。敷地内に蔵があり、父の説教のあと蔵に入れられることもしばしばあった。
7歳、小学校1年生の夏休みに父が分譲住宅を購入し、引っ越す。物心つくより前から一緒に遊んでいた友人たちと分断され、新しい学校では、物珍しさからであろうが標的にされる。しかし当時の私にとって何よりも恐ろしい父が「喧嘩に負けたら家には入れぬ」と常々言っていたので、毎回必死の抵抗をして「わかったわかったもう参った」と言われるまで戦った。結果、小学校の間ずっと乱暴者のレッテルを貼られることになる。
そのまま高校3年までその家に住み続け、大学入学と同時に横浜に引越。いまならシェアハウスなどというのかも知れないが、貸し間だった。隣の部屋に住んでいた学部違いの同級生Tとはいまだに連絡を取り合う。大学3年のときに同級生とルームシェアを始め、その彼が卒業後に出ていっても住み続けて27歳くらいまで住んでた。(もはや正確に思い出せない)
その後、独立して間もなく、仕事もお金もなかったが、横浜の鶴見で同棲を始める。2年くらいで結婚をし、横浜の山下町へ引っ越す。その生活は5年で突如終わることとなり、ある日突然住むところを探す羽目に。ひとまず不動産屋に「石川町駅の◯◯という店から歩いて帰れるとにかく安い部屋」ということでこの打越橋の近所に住んでいた。その頃に「海で飲んでるからおいでよ」があり、また別の友人のお陰で妻とも出会う。
妻と最初に住んだのは出会ったときに妻が住んでいた元住吉。妻が住んでいた部屋から新居まで徒歩5分だったのでほとんどの荷物は夜な夜な台車でピストン輸送した思い出。笑
その元住吉の部屋は気に入っていたものの年齢的にも買うならそろそろ?となり物件探しを始めて行き着いたのがいまの家。「自分の家を自分で設計したい」から建築を志しておいて結局リノベ済みのマンションを購入したが、まあこれはこれでアリだったと思っている。
で、え-っと数えてみたら8回引越ししてるね。生きてるうちにもう1回くらいあるかな?