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3月31日。今年度最終日。 この「かきぬ...
島縞
シマシマ
2025年5月30日
昨日まで、いやさっきまで、なんだか言葉が出てこなかった。
あれ私、もう書けないんじゃないか?とまで考えた。なんでかよく分からないのだけれど。
かきぬまさんが、グルグルしながら最後にさらっと「こんな日もあるさ」と書かれていることに、そうですよねって思えました。
勝手ながら、ありがとうございます。
昨日と一昨日のことは、また日を改めて残したいと思います。
あっちにもこっちにも思考が飛んでいるこの頃。結局、私はなぜ、何のために、生きているのかって問いを急に投げられて、・・・ってなってしまった。
書きたい、書く仕事がしたい。書こうと思えばこのご時世、ライターの仕事はあちこちにあるのに、私はいつまでこうしているんだろう。とか。
働くって、稼ぐって、私にとってどういうことなんだろう。とか。
そんな風に思いながら、ナンプレの四角に数字を埋めている自分はなんなんだろう。とか。
なにかしなくてはいけないことがあるような気がして。
でもそんなものは妄想だったりして。
それで、今日はずっと先延ばしにしていた思い出の品の片付けをした。
「人生がときめく片づけの魔法」が出版された当初、好きな部屋にしていた。そんなよき日のことを思い出し、改訂版を借りて読んだのはもう数ヶ月前のこと。
去年から大々的にもの減らしを始め、思い出の品を残すのみとなっていた。
写真を選び取るの難しそう、なんて思っていたけれど、それより厄介だったのは「手紙」だった。なんせ小学生の頃から趣味を「文通」としていた人間である。去年の夏、実家に保管していた子どもの頃からのものは、思い切って処分していた。それなのに重量で見ると写真より明らかに多い。
捨てられないものには手帳もある。結構細かい性格で、色々と書き残していた年代があった。文字で書かれたものを見て当時のことを思い起こす。こういう作業が好きだったりするみたい。
通信簿や卒業証書、学位証書なんかもあったが思い切って手放すことにした。10年以上見返したこともなかったし。当時の自分を知れるものとして、通信簿はデータで残すことにした。
赤ちゃんの頃のアルバムは、購入した時の箱に入っていた。取り出すと、母が若い頃にもらった手紙が一通。これは母に返すことにしよう。そして、なんと私が生まれる前後の日めくりカレンダーの切り取りも残っていた!
出産前日・当日・退院日・わが家に戻った日の4枚。
第一子であることを差し引いても、なかなかに細かい。とっておいたのを忘れたのもあるかもしれない。母は細かいのか雑なのかわからない性格だ。あ、私もそうか。
手紙もそうだけれど、卒業アルバムの書き込み、結婚式の際に友人からもらったメッセージ付きアルバムを見ていると、若い頃ちゃんと充実していたことに気づいた。脳はいいことを忘れ、悪いことはいつまでも覚えているって本当だと思った。
島縞のロゴが完成した、と店主のサキさんから連絡をいただいた!
鉛筆のような、ボールペンのような線で、優しい輪郭の島々に、波間がさまざまな間隔で縞々と描かれているのが、島縞の文章とリンクして感動しました。書体はきっちりしすぎず、少しかたさのある、太さのある、そんな感じが私らしくて好きです。
ありがとうございます!
しょっちゅう言っている気がしますが、これからもどうぞよろしくお願いします。