自転車に乗りながら聞く
あっという間に金曜日。 夕方まず次男のお...
島縞
シマシマ
2025年5月31日
やり始めたら止まらない性格。
数日前から、思い出品の整理を行っている。
そしてこの日は、手紙をひとつひとつ読み返しながらそれぞれに別れを告げた。
学生の頃、なんて甘い話ばかりしていたことだろう。あの頃は必死だったことも、今となっては手紙を右から左にやるのと変わらない気軽さで、大丈夫だよ〜って言ってあげられる。
残ったのは、国語辞典と変わらないサイズの箱に隙間ができる程度の手紙だけ。見返して鼓舞できる、慰められるものだけ。過去の自分にさようなら。
国語辞典をサイズ比較に出したのは、甥っ子の机でこれを書いていて、丁度目の前に同じサイズのそれがあったから。
そうそう、大学進学とともに一人暮らしになったが、その頃から母はずっと魚(大家さんやお世話になっている人用)や野菜を送ってくれる度に、サッと記した手紙を入れてくれていた。それは、メモ帳だったり、ノートだったり、チラシの裏紙だったりして。レターセットはほぼほぼなかったな笑。時に、これこれに使いなさいとお金が包まれていることも。
ずっととっていたら結構な量だった。書かれていたのは、無理しすぎないこと、病気の時は少しいいものを買って食べること、あまり根詰めすぎずにたまにはパーッとお金を使っていいもの食べなさい、とか。どんだけ貧乏性で、無理しとったん?と突っ込みたくなる。数枚だけ交じる父の文字。
進学後はひとりで生き抜いてきた気でいたけれど、ずっとずっと見守られていたことに、今更気づいた。
私もいつかそんな風に遠くから見守る日が来るのかな。
夜には、主人・娘・私の写真(印刷済みのもの)に目を通す。写真は手放す前のもの。左は娘のものだが、園で注文してもらった袋に入れっぱなしでビックリする。右上は主人、右下は私のもの。
主人と私の過去は結構すんなりと(何巡もして少しずつ数を減らしたけれど)決別ができる。それが、娘のときたらどうだ。あれもこれも表情がたまらなくて、そうそうこの時には…って情景が浮かぶものだから同じ日の写真が何枚あっても手放せない。それはそれでいいか、とも思う。手放したものはもう戻らない。手放すことはいつでも出来る。
主人と自分のもの、印刷したものは独身時代までのもの。それぞれ30枚程度の小さなアルバムにする予定。結婚生活は4年間だけでこれ以上は増えないから、それだけで一冊にしていつでも見返したいんだ。
印刷物の整理が終わったから、今度は少しずつ、データの整理も行っていくつもり。データはいくらでも増やせるから膨大な量で、膨大な時間を要する予想。