未熟で世話が焼けるほど可愛い
先週近所のお花屋さんの前を通り、ヒヤシン...
島縞
シマシマ
2025年6月2日
今日は何をしたかなぁ、と振り返る時によく見るのはアルバム。撮った写真を見ながら、こんなことがあってあんなことを考えてた、と思い返す。
何も撮っていない、そんな時は周りを見回してみる。やったことはだいたい手の届く範囲に散らばっている。パソコンに残されたブラウザやファイル、読んでいる途中の本、買い物セット、逆になくなっているもの、そんなものから思い返す。
見回した時、洗ったと思っていた晩ごはんの食器がそのままであった時はげんなりする。今がそう。皿洗いはあまり好きではない。溜めておくのは嫌いだけど、洗うのも嫌い。洗った後の爽快感は好きだけれども、その事自体が好きというのとはまた違う。手が濡れるのは嫌じゃないが、濡れた手をタオルで拭くのが嫌。もっと言うと、拭いたタオルがどんどん湿っていくのが嫌。タオルは拭くためにあるのに、そのタオルが濡れるのが嫌とはどういう事だろう。
手放すもののゾーンに移動した食洗機だったが、再招集しようか。でも、食洗機に広いシンク周りが圧迫されるのが嫌。広いんだけれども、流しが少し塞がれて、その下が薄暗くなってよく見えない状況になるのが嫌。シンクの端をDIYで増設してそこに置けば、圧迫もされないしシンクが薄暗くならないからいいかもしれない。
以前は、こういう何が嫌なのかをうやむやにして、もうやーめた!ってなっていた。けれど、かきぬまさんが先日知ったというジャーナリングを去年からやっていて、書くことで引っかかりが出来るようになった。すると、そこからスルスルと考察が広がる気がする。この日記にもその作用があって、書きながら今日の出来事の引っ掛かりに気づけたり、喜怒哀楽に収まらない隙間やあいまった感情を自分なりの言葉にして収めることができる。これがたまらなくいい。
そんなわけで、ここに書き始めてからノートに書き出す頻度は減ってきていたりする。
丁度引っ越しご報告の際に日記が書けていなかったから、お伝えできぬままでした。
店主のおふたりに加えてサポートしてくださった方がいらっしゃって、同じ場所に違わぬ(新たなプラットフォームでその機能を携えた)おうちを建ててくださったとのこと、ありがとうございました。日に日に内装が出来上がっていくのを横目に、商品を並べていくのがたまらなくいい時間だった、と思っております。何百もの商品全て、手作業で揃えていった書き手の皆さまにも拍手!でございます。
最初は30年という長さに臆していたものの、ここに書くということがやみつきになってきた感が、まだひと月半とはいえ、確実にある。
そういうことで写真がない今日は、はしゃぐ昨日の娘の姿を残しておこう。