我慢できずに模様替え、夕方の散歩道
明日は法事で、仕事ができないって分かっているのに。 スッキリしたくてウズウズしていた、ダイニング横の和室(半・娘部屋)の...
島縞
シマシマ
2025年7月26日
週末ごとに、頻繁に海へと出かける今年の夏。
娘は、浮き輪→ライフジャケットで浮かんでいるだけが物足りなくなったようで。急に「これ脱いで泳いでみる」と言い出したので、ビビリの私を驚かせる。引き潮の時だったので、流されていかないかとハラハラしてしまう。
ただ、泳げるようになりたいって強い気持ちが感じられて、私も意を決して腕まくり、裾まくりして、膝上まで海に浸かりました。
娘から、「そこちょっと深いから気をつけてね」「ここの岩の上がいいよ」と優しい先導をしてもらって、つるりと尻もちつかぬよう移動する。
娘の手をしっかり握って「バタ足は足首使って!」「膝曲げないで、こう!」「手も伸ばして、からだ一直線!」などと、手を足に見立てて身振り手振りの熱血指導。
日頃外に出ず、運動も足りてない娘はすぐに疲れてしまって、泣き言もいうけれど、休憩しようかと声をかけても「やる!」と。いいところでもあるのだけれど、見ていても苦しくなるくらい。少しずつ、ひと休みや力の抜き方をわかってくるといいな。
背中や足には、岩にぶつけていくつも赤くミミズ腫れのようなものがあって痛々しい。それでも、全然痛くないから大丈夫だと、スパッツをはきたがらない。彼女なりのファッションセンスというか、美的感覚がそこにはあるようで、そんなのお構いなしだった私からすると、大人だな、かっこいいな、なんてこちらが子どものように思ってしまう。
最後の方は、小さな浮き輪をビート板代わりに、ひとりで泳いでみていた。その帰り、バタ足が以前よりうまく出来るようになったと話す娘がとても誇らしそうな笑顔を見せてくれて、おかあはグッと来た。
夜は、実家では恒例となりつつある星の観測。
天の川がしっかり見えて、星の数も娘と暮らすおうち周辺と比べても桁違い。周りになにもないことで、星が無数にあることがわかる。
昨日は、首を90度曲げながらそんな星空を最後はひとりで眺めつつ、30年以上前にこうやって見上げていた星は今も変わらずこうやってあるんだ、なんてちょっと感慨深く感じていた。私の周りに、変わらずあるものってなんだろう。
スマホの写真じゃ、全然つたわらないや。
丁度これを投稿する時、ちょうど今「日記の練習」を読んでいる、ぐっさんさんのくどうれいんさんと、洋楽には馴染みない私でも主人の影響で聞いて、結婚式では主人の友人がバンド演奏してくれた、クロウタドリさんのoasisに挟まれて表示される、その偶然がとても嬉しい。