ちくわレシピと竹の背くらべ
こちらで書き始めて、娘との散歩のことばかりな気がする。 でもそれは決して当たり前のことではなくて。ちょっと前までは考えら...
島縞
シマシマ
2025年8月2日
地元商店街の夜市が開催された。
娘が小さい頃は、あっちこっちぶらぶら、食べ歩き、ヨーヨーやスーパーボールすくいして、出し物を見物して、その空気を満喫していた。
けれど、この2年は欲しいものだけめがけて、手に入れたら戻っておうちでのんびり食べるスタイルに。
味気ないけれど、この暑さと人混みにくったくたになってしまう。
娘の同級生にも何人かすれ違ったけれど、娘はすっ、と行く。
どんな気持ちが胸に渦巻いているのか。想像しかできないけれど、こうやって外に出て、自分が食べたいもの、楽しみのために行動できている今って、ものすごいことだ。
娘が食べたいと言っていたいちご飴はなかったけれど、大好きなマンゴースムージーを手に入れ、甥っ子が買ったチョコバナナにつられてチョコバナナを食べていた。チョコはもっと分厚いほうがいいらしい。そうか、なるほどね。
いつもの焼きそば、たこ焼きも手に入れた。そこに同じ団地の、娘と同級生の子の家族もいた。入ってきたばかりの頃はしょっちゅう遊びに行って、美味しいごはんをごちそうになったりしていた。
この1年半は、娘も気まずいらしく、遊びに行くことはなかったけれど、やさしい男の子でいつも気にかけてくれているのがわかる。
今日は、めだかをもらった。同じ団地の、その男の子から。
最近の金魚すくいは金魚ではなくめだかなのね。
3年前だったかにも赤色のめだかを2匹掬ってきて育てていたことがあった。掬うのは金魚だと思い込んでいたから、金魚だと娘に伝えて、娘はその子たちに「きんちゃん・ぎょっちゃん」と名前を与えた。
ただ、どう見ても金魚ではないことにも気づいていて、Googleレンズで調べたら、やっぱり違った。分かるようなものだけれども、人間の思い込みってすごい。いや、主語が大きすぎる。私の、そう私の思い込みが。
さて、そのきんちゃん・ぎょっちゃんは実はひと月後にはさよならとなった。
だから、わが家にはもう水槽もぷくぷく空気を出すものも存在しない。だから、とりあえず掃除用の桶に放流した。今回はちょっとこれで様子をみることにしようと思っている。
「やっぱり生き物がおうちにいるっていいね」
どこで覚えてきたのか、そのセリフ。
娘はお風呂の前も、後も、一緒に並んで泳ぐ赤と黒のめだかをひたすら眺めていた。
そんな娘が、「なんか赤ちゃんみたいなのがいる!」と言う。よく見ると、たしかに、いる。1ミリくらいのちいさい透明のからだのやつが、高速で浮遊している。
これまた、望遠使ってなんとか写真に収めてGoogleレンズで調べると、え、トコシラミかもしれない?いや、これは違う、と思いたい。え?シラミ?え?
妹の家の猫は、安定の舌出しっぱなし。
しょっぱいものを食べて寝た顔は、びっくりするくらいパンパンになっていた。
洗面所で髪の毛を拾って頭を上げようとすると、ドライヤーに頭をぶつけた。
以前ならば、腹が立っていたものも、この頃は、自分のからだのサイズもわからないのかまったく、と思っている自分に気づいた。