チクチクチクチク
ひとつの挑戦、越えることができて、ホッとしたのもつかの間。 おなかの調子も昼ごろからちょっと変。光の刺激で目の奥が痛いし...

島縞
シマシマ
2026年3月29日
明日は曇りのち雨予報。
朝日は拝めそうにない。今朝は、昨日より少しだけ早い朝日の写真。でも、もう少ししたらこの太陽も上の方を、もう少し左寄りに昇っていくんだろう。
団地のそばには小高い丘があったから、朝日が顔を出す時間よりだいぶゆっくりしかその姿を見られなかった。実家の周りはほぼなにもなくて、この平たい森みたいなところから顔を出してきてくれる。
反対に夕日だけれども、子どもの頃より海の見える面積が減った気がしていた。
おうちがたったり、森が成長して、ずっと変わらないと思っている景色もこうしてみると変わってるんだなと気づく。何気なく見ていると気づかないけれど、写真を撮るのが好きで、昔は写ルンですで撮ったりしてたから気づいたのかもしれない。
写ルンです、昔は1,000円以内で買えていたような。先日のドラッグストア、レジ横で見つけたそれは数千円していて、これもまたインフレなのかとしばし目線を離せなかった。
実家の片づけがだいぶ進み、私の部屋としているところの押し入れも4分の3が空いた。なので、今日もまた団地から軽ワゴンに詰められるだけ詰めて運び出した。台所用品は、料理をあまりしない私でも、大きいものから小さいものまでかなりの数がある。母が、あれもこれもさっさと運んじゃおうとノウノウとした私たち親子に発破をかけるので、ダイニングキッチンはだいぶスッカラカンになった。車に乗るか心配する私に「車は大丈夫だろうけど、うちの台所にこれが全部収まるかなあ」と母がポソリ。母はストックマニアでもあるから、実家の収納のいたるところにストックがつまりまくっている。今日もコーヒーやら洗剤やら、1個じゃなくて2〜4個を買いだめ。母いわく「どうせ使うんだから、安いときに買って置いといたほうが安心」だとか。そんな母を見て育った私も同じように過ごしていたけれど、ここ数年はジャストサイズを目指している。なのだけれども、2世帯分のものとなればものすごい量になるので、思い切って被るものは処分することにした。お互いに持っているものは、新しいか、きれいか、使い勝手がいいものが残される方式で。で、いらないでしょって私が思っても、いやこれは使える、と残す母。そりゃ収まりきれないかもしれませんよね。
実家の片づけと、団地の運び出しが繋がるできごとがひとつ。
小学生の頃から使っている、裁縫箱。私はクリーム色のスヌーピーが描かれた箱を選んだ。上と下に分かれる仕様で、下の部分はいらないと処分したつもりだった。結婚してもこれを持ち込んで、私の針道具はこれに収まるだけ。そこに幼少期の娘がいっぱい四つ葉のシールを貼ってくれた。その裁縫箱の下の片割が、実家の片づけで見つかった。母が作ってくれた裁縫箱袋に入った状態で。20年以上ぶりに正式な形に戻ることができたそれは、ふたの留め具は片方壊れてしまってないし汚れたままにしているけれど。35年とか使ってるものが手元にあるってことが感慨深い。

もう夜に団地を訪れることもないだろうからと、照明も外して実家の古い吊り下げ式のものを団地で使っていたシーリングライトに交換した。昔ながらのもいいんだけれども、安っぽいプラスチックの傘はホコリで薄汚れていたり、割れていたり、30年以上使えばそれはそうなるかって感じだったから透明袋に入れられ、次のゴミ出しの日まで倉庫にしまわれることになった。
ここでは、『しまう』を使う。『なおす』は、きみの居場所はここって決めた場所に戻すイメージで、今回は捨てるための仮置場なわけだから、これはなおすではない。これも、かきぬまさんが書いてくれたから意識できたことで、そうでなければそんな使い分けは無意識で気づかずにいたかもしれない。でもこれは私なりの使い方で、正式な方言とはまた違うかもしれない。感覚のお話でした。ただ、こうして思いがけずフックができるのは嬉しい。
あと何回の往復ですべて運び出せるかな。
とこさん、ぬいぐるみ事情はどこの女子も同じなのでしょうか。わが家もぬいぐるみがかなりの強敵で。大きいのがいくつもあり、娘の手前潰して運ぶわけにもいかず(圧縮しようものなら罪人扱い)、なかなかに場所を取るので運ぶのも収めるのも頭を悩ませる。