雑司ヶ谷のZ
週末喫茶の建物の工事の都合で、今週も土曜...
Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2024年9月10日
ふと思い出すと、こころがギュっとなる瞬間はあるけど、それは段々と、痛みが思い出に変わっていっているということなのかもしれない。
家にいると内向きな思考が走るので、家族で山に出かけた。悲しいことがあると、やたらと面白い(と本人が思っているだけ)ことを言って活気づけようとするきらいがあるイタリア人の夫の、ひとことひとことがちょっと癪に障る日々なので Leave me in peace. と一言だけ言ったら、通じたみたい。
イタリアには、喪に服すとかいう概念がないのかもしれない。だって、彼らは命が終わると、神様のところに行けるから。悲しいけど、悲しくない。と言われたことがある。ほんとうにそう思っているらしい。
お爺ちゃんのお葬式のあとの49日までは、毎晩家族でお経を詠んだわたしの原体験からすると、信じる対象が違うということは、なんとも不思議なことだと思う。どちらも、救いを求めて神に祈ったり、仏の前にお経を詠むことに集中したり。救いというか、癒しなのかもしれない。いつかは必ず訪れるこの痛みを、じょじょに受け入れていくための。
イタリア・ベルガモ/45歳