mikan
みかんの季節。イタリアではmikanという名前では売っていないんだけど、もうこれは、お正月にこたつでみんなで食べる、あの...

Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2025年1月5日
ここに書こうか、こころのなかに閉じ込めておこうか迷ったけど、書くことにする。自分の気持ちの整理のためにも、書いておこうと思う。

父が逝去した。家で急に倒れ、緊急搬送された先で帰らぬ人となった。一緒にいた母はうろたえ救急車を呼ぶこともできず、ちょうど仕事から戻った弟が緊急搬送を依頼し、そのあいだ心臓マッサージをし続けたと話してくれた。
そのころわたしは何も知らず、ミラノのドゥオモを眺めていた。ソフィを連れて行ったピカソの展覧会の窓から、父の最期とも知らずに眺めていた。
海外に住むことに決めて10年近くたった頃から、わたしはようやく誰かの死に目にはあえない、ということを実感し始めたと思う。それは、老いていく祖父母を見ながら感じ始めたことだったように思う。
それでも、父が突然いなくなる、ということへの覚悟はやっぱりできていなかった。毎回、一時帰国のときにはこれで会えるのが最後かもしれない、と思いながらお別れをしてきたんだけれど。
お正月の「あけましておめでとう」をソフィが言えるように練習して、つい3日前にじーじとばーばにもLINEをつないで言ったところだった。わたしはそのとき、ソフィの後ろで一緒におめでとう、って言ったかな。それすら覚えていない。画面の向こうで笑う父の顔を見たことは確かだ。
今日の夕方の便で、日本の家に帰る。丸一日かけて帰る。直ぐには飛んでいけないもどかしさ。でも、自分で選んだ生きかた。わたしにはまだまだ、覚悟が足りていなかったみたい。
最期だけじゃなくって、いつもの日常から、いっぱいいっぱい、どうでもいいことを話そうと思う。それが、父がわたしに残してくれたメッセージだと思う。

イタリア・ベルガモ/46歳