散歩日和
朝から気持ちの良い気候、朝食を食べ着替え...
Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2025年2月25日
家の近くに元々は小学校だった施設があって、そこが今は音楽学校になっている。夫が子どもの頃は、家の前の100段くらいある階段を降りて、その小学校に通っていたらしい。
この数十年で、イタリアも少子化の波が日本に負けないくらい押し寄せていて、その影響でこの小学校は大きなところに統合されたらしい。建物は、たしかに80年代の日本の小学校みたいな、四角い箱をくっつけたみたいな感じ。中は、もともとは教室だった名残の小さな部屋がたくさんあって、真ん中には広場が広がっている。きっと休み時間に、子どもたちがみんなで遊んでいたんだろうな。
音楽学校には、ソフィが2歳になる前くらいに連れて行ったことがあった。幼稚園に入るか入らないかくらいの、乳園児向けの体験レッスンがあったのだ。レッスンと言っても、歌うわけでも楽器を弾くこともできないので、ベルや鈴を鳴らして聞かせ、その音を遠くから、そして耳元で聴く、といったような原始的なものだった。当時のソフィは感心を示さず部屋をうろうろするだけで、わたしは興味津々だったんだけど、結局はその体験だけで終わったのだった。
7歳になり、体を動かすことが好きなソフィなので、指先を動かすのもいいかなーと思ってどんなレッスンがあるかを観に一緒に行ってみた。そこでは、クラシックのユニットを組んでいたり、ドラムやギター、ベースやバイオリンなどの楽器のバンドを組んで練習している光景があった。
観ていっていいよ、と言われたのではじっこで観ていたら、先生がソフィに太鼓を渡してくれた。リズムになんとか合わせながら叩いてバンドに参加しているソフィがとっても楽しそうで嬉しかった。
イタリアの良いところは、こういう場でもすぐに仲間に入れてくれるところだと私は思ってる。バンドのメンバーも、小学生の高学年くらいの子から、おばさん、おじいさんみたいな頃合いの人も居て、全部ミックス。うまい下手も関係なく、それぞれが、それぞれに好きな楽器を奏でている感じ。ダウン症のお兄さんも、ベースを弾いていた。
わたしが日本でピアノを習っていた頃は、先生はとっても優しい人だったけれど、やっぱりレベルをどんどん上げていくために、すごく真面目にトレーニングしたのを覚えている。うまくならなければ続けてはいけない、そんな印象を、誰からともなく受けていた気がする。
でも、きっとほんとはそんなのどうでもいい。うまくなっても、ならなくても、好きで続けてる。ただ、それだけ。というメッセージを私はその場に集っているみんなから受け取った。
ソフィがどんな楽器に興味を示していくのか、今後が楽しみになってきた。自分のエゴから、ピアノは家にあるから練習できるね。バイオリンとかギターも楽しそうだね。と言ったら、ソフィも興味を持ったみたい。全部わたしが習いたいやつ。でもいまの自分が続ける自信がない。そういうときは、やっても続かないもんだよね〜。本気でやりたかったら、きっともう始めてる。
イタリア・ベルガモ/45歳