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    Sophy's philosophy

    Sophy's philosophy
    ソフィーズフィロソフィ

    having a “right answer” is rather unnatural

    さいこさんの最適解の話を読んで、ソフィだったらなんて言うかな〜?と考えてみた。本人に直接聞いていないし、まだ7歳だからリトくんみたいに最適解を探したりはできないようにも思う。だから想像でしかないけれど、きっと「じゃあ何にも言わないで!!」って返してくる気がした。

    そう考えたら、リトくんは、最適解をさがしたんじゃなくて「全部今まで通り注意していい。大きくなって困るのはヤダから。すぐ忘れちゃうけど全部出来るようになりたいことだから」と本心で思っているんじゃないかなーって。

    外野から何いきなり読書感想文みたいなこと書いて、って自分でも思うけど。この思考を記しておきたかった。

    ソフィは本気でうるさいなーー!って思ってるので、わたしが何も言わなかったらそれはそれでむしろハッピーなんだろう。最近は、嫌なことをむりやりやらせたり、創造性を制限するようなことはしないようにと気をつけている。

    とはいえ、学校のあとのスイミング教室はいつも「行きたくない〜」とグズルのを無視して連れていくし、プールに入ったら入ったで楽しんでるのを確認できるし。

    だから、どこまで「嫌なことなんだな」というのを認知して、辞めていいよ。と言ってあげるべきなのか。ということに関しては、自分の中でルールが固まっていない。ルールにしなくても良いのだろうけど、判断基準が定まっていないので、自分の思考リソースを取られているのが分かる。

    思考リソースを使うのが、親だからできることなのかもしれない。それは、本当に子どものことを主役にして考えられている証拠なのかもしれない。いや、自分の体力温存を主役に考えているのやも。

    一休さんの禅問答にも思えてくる。子育てっていうのは、正解がないからこそ、こういう時間を持てるんだろうな。井本先生もずっと言ってるけど、「正解があることなんて、むしろ不自然」ということが本質なんだろう。だからこそ、自分にとっての正解と信じて進み続けることなんだろう。哲学やな。

    こないだ日本に帰ったときに持ち帰ったお雛様。岐阜の美濃焼。手作り感があったかい。

    書き手

    sophy

    sophy

    イタリア・ベルガモ/45歳

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