インターネットは金星に届くか
書いてみたらなんだか「アンドロイドは電気...
Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2025年3月8日
イタリアの家族でwhatsapp (LINEみたいなやつ)のグループを作っている。高校生以上の甥っ子姪っ子も含めた全員が入っている。そこに、みんながそれぞれ思いの丈や、写真なんかを送り合う。
昨日、義姉の旦那さんのロベルトが、日本のことを書いた記事を送ってきた。
北海道の路線のとある駅が、たったひとりの学生の通学を支えるために運行を続けていて、その子の卒業とともに駅が廃止されるっていう記事。最後に、『教育に対する責任と尊重を示す、すばらしい話だ』と書かれている。
これの何がイタリア人を感心させたのかと考えてみた。きっと『たったひとりの学生のため』というところが、イタリアではあまり例を見ないんじゃないかと思った。
ちょっと話がそれるけど、こないだのゼレンスキーとトランプ(&ヴァンスの挑発)のバトル対談がとても印象的だった。
それぞれの『正義』と『現実的な解』が平行線ということが明らかになったと感じている。
ゼレンスキーは、勝手に侵攻してきたやつが悪いから退治しないと。の正義による一点突破を狙った。一方のトランプはきっと正義とかどうでもよくて、ディールをダンさせたい、で押し切る。戦争を終わらせて人の命を守るには、交渉のカードが必要。それにアメリカが有難くも介入してやっから、ディプロマティックに『うまく交渉をするってことでしょ』、という主張。つまり、妥協しなよ、と言った。(それはウクライナ側にとっては、領土をある程度は手放すことも有り得ることを暗示、断言はしていなかったが)
「戦争を終わらせるピース(平和)」についての捉え方も双方では違ってるよね。
『正義』はもともと信じているところに根拠し、『現実解』は現状打破するためになんとか模索してやってみるところにあるんじゃないかとわたしは考えた。過去思考と未来思考、という違いなのかもしれない。
北海道の路線の話に戻すと、教育に対する責任と尊重ができる日本は、正義がある国としてイタリア人に映ったのではないかと思う。そしてこの場合は幸いなことに、現実解でもあったのかもしれない。戦争のような大勢の人の命は関わっていなくて、権利とか便利さ、税金の使い方において、ひとりvsそのほか大勢の天秤だ。
ただ、この話は美しく描かれているけれど、実際に近くに駅がなくて困ってる人は、誰かに車で送ってもらったり、雪じゃなければチャリで長距離をがんばって走ったり。という「策」を練るわけで、全部を国や公共サービスに頼る(JR北海道の過疎地路線は、特に補助金が無いと全くの経営困難らしい)というのは、これからはもう難しい局面に入ってきたんだろうとも感じた。
イタリア人は、国をもともと頼っていない(というか、頼れない)から、近くの人で助け合ってなんとかしよう、と知恵を練ることに慣れていると思う。日本とイタリアの中庸があったら、住みやすいのかもしれない。
北海道の記事に対して、JR北海道の過疎地路線について調べたことを、まず英語にして、それからChatGPTでイタリア語にしてもらって、家族宛に送った。少しすると、夫のパパから電話が来て「イタリア語すごく上手だねー!!」と褒めていただいた。AIで翻訳してもらったと正直に伝えた笑。ChatGPT、イタリア語もかなりナチュラルらしい。
イタリア・ベルガモ/45歳