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    Sophy's philosophy

    Sophy's philosophy
    ソフィーズフィロソフィ

    on letting go of skepticism

    20度を超えるとても清々しい朝なので、Soleを連れて図書館までお散歩。予約していたDVDを借りに行くためだ。

    私の住んでる町は、人口6千人という北イタリアのちっちゃな田舎。この町の図書館は、日本のテーマを扱うものをたくさん所蔵しているらしく、本やDVDをよく見かける。

    いきがい、しっぱい、島々、をとりあつかってる本。ジブリのDVDも全部そろってる感じ。

    本の中身については、イタリア語なのでわたしにはさっぱりわからないところがあるけど、それでも日本のことに興味をもってくれるイタリア人がいることをとても誇らしく思う。

    日本人-ジャポネーゼです。というと、決まってみんなが「すてきな国だね」と言う。もちろんお世辞もあるかもしれないけど、ほんとに日本に行ってみたいと思ってるイタリア人は多い。日本を旅したことがある人は、街がすっごくキレイ、みんな優しい、って言ってくれる。

    そんなことを思いながら帰り道の急な坂を上っていると、反対側から自転車を漕ぐおじさんが居た。イタリアの坂道の場合、だいたいレースとかをするタイプのガチな自転車に乗ってる人たちだ。電動ではない。

    彼が何かを言ったので、わたしは不意に身構えた。

    邪魔だ、とか言われるのかと怖かったんだ。

    でも彼は「こりゃきっつい坂だ〜、ここまでとは思わんかった」と笑いながら自転車を漕いでいったのだった。

    わたしは、自分の中にある懐疑心に気がついた。すべての人が悪意を持っているわけではないのに。実際、彼は小さなコミュニケーションを、ただすれ違うだけの私と、わざわざしようとしてくれていたのだ。

    海外に住んでいると、マイクロアグレッションのような、視線やちょっとした言動に怯えたり、傷ついたことが何度も何度もある。数えると萎えるので、そのうち見なかったことにもできるようになった。

    日常生活の中に潜む、小さな差別。

    それはもちろん、わたし自身が誰かに対して無意識のうちにもしてしまってることもあるはずだ。人間というものは、そう傷つけあいながらも生きる。

    自転車のおじさんは、わたしに「今日、あそこですれ違えて良かった」と思わせてくれた。Grazie mille, signor!

    書き手

    sophy

    sophy

    イタリア・ベルガモ/45歳

    ©30YEARS ARCADE