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    Sophy's philosophy

    Sophy's philosophy
    ソフィーズフィロソフィ

    chant a sutra

    いつか見た長良川の夕焼け。左に見える山の頂きには、岐阜城がある。

    今日は去年の9月に亡くなったお婆ちゃんの一周忌法要。わたしとソフィの帰国にあわせて、母がスケジュールしてくれた。

    うちはお西と呼ばれる浄土真宗で、法要には家までお坊さんが来てくれてお経を詠んでくれる。うちのお坊さんはとてもフレンドリーで、ジムニーに乗ってやって来る。

    息子さんが二十歳だと言うから、彼は私より少し上の50代くらいかしら。

    前半30分かけてお経を詠み、途中に冷たいお茶を飲みながら雑談をした。故人の話を特にするでもなく、むしろお婆ちゃんも父もそこで一緒に聴いてるかのように、ソフィのことを聞いてくれる。イタリアの生活や、学校のことや、アレルギーの対応(ソフィは重度の卵とナッツアレルギーでエピペン所持してる)など。

    後半の30分のお経は、わたしも母も甥っ子も一緒に詠んだ。わたしと母と弟は、お爺ちゃんが20年くらい前にあちらにお引越しされたときに、49日間毎日お経を詠んだので、何となく覚えてる。

    甥っ子は、お婆ちゃんのお引越しのときにCDをかけて詠んだので、調子を覚えたそうだ。フリガナが振ってあるから詠めるのは、大人も子どもも同じ。

    ソフィは、初めて見る日本の仏教法要がわからないらしく、畳に寝転がったりスライムを伸ばしに伸ばして遊んでた。静かに座っていられるタイプではない。

    「イタリアのメッサでやるプレギエーラ(お祈り)の日本版だよ」とわたしは伝えてみた。

    ソフィは、漢字がずらりと並ぶ本に目を回しながら不思議そうな顔を見せ、またスライム伸ばしに集中した。

    カトリックのミサも、仏教の法要も、いま生きる人の救いや拠りどころを分かりやすく提示するためにやるんだろう。あちらにお引越しした家族のことを思い、この毎日のなんともないことにも目を向けるために。

    書き手

    sophy

    sophy

    イタリア・ベルガモ/46歳

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