it’s getting hot here…
今日からバカンス。イタリアも8/15は祝日で、この2週間は会社が休みって人も多い。 車で移動する途中のパーキングでイタリ...
Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2025年8月16日
風早草子さん、PSさんが書いてくれた戦争を生きた人々の言葉。わたしも子どもの頃に、祖父がぽつりと話してくれたことを思い出す。祖父は戦時中、近くにある川崎重工の工場で働いていた。まだ15-6歳だったから徴兵は免れたが、彼の兄は出兵し戻ってこられたと聞いている。
飛行機を作るのを手伝っていて、工場への空襲があったときにはたまたま家に居たから助かったと言っていた。家から西側を見渡すと7-8キロ離れた先ですごい炎が見えたそうだ。当時はまだ野原に近い町並みだったことが伺える。
わたしが記憶しているから確か昭和60年くらい、終戦後40年が経つ頃、祖父は鉄のお箸を使っていた。戦時中か戦後にこっそりと鉄屑を拾い、それらを打ち繋いで自分で作った銀のお箸を大切に使い続けていたのだ。重たいお箸だった。
戦争の話をしてくれたのは、確かその一度きりだったと思う。小学校では、子どもらの前で戦時中の話をしてくれるお爺さんお婆さんを募っていたが、わたしの祖父は話したがらなかった。覚えているのを思い出したくないのか、忘れられたからか。わたしには分からない。
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山口周さんが「武器になる哲学」の中でこう記している。
さらにサルトルは、私たちは「自分の行動」に責任があるだけでなく、この世界にも責任があると主張します。(中略)サルトルが例に挙げているのは戦争です。戦争を、人生の外側からやってきた事件のように考えるのは間違っている、その戦争は「私の戦争」にならなくてはいけない。なぜなら私は反戦運動に身を投じることも、兵役拒否をして追走することも、自殺によって戦争に抗議することもできたはずなのに、それらをせず、世間体を気にして、あるいは単なる臆病さから、あるいは家族や国家を守りたいという主体的な意志によって、この戦争を「受け入れた」からです。 あらゆることが可能であるのに対して、それをせずに受け入れた以上、それはあなたにとって の選択である……実に厳しい指摘ですが、これがサルトルの言う「自由の刑に処されている」ということです。
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いまこの時代にも続く戦争。ひとつではなく、いくつも繰り返される戦い。それを、わたしは「自分の戦争」として受け入れている、ということを痛烈に言われているのだ。
地元の川崎重工は、今も変わらず同じ場所にあり、その横には岐阜各務原航空自衛隊の滑走路が繋がる。それをなんとも思わず通り過ぎていた自分を恥じる。80年も前に、自分の命を繋いでくれたお爺ちゃんが、鉄屑を集めてお箸にした場所。それを何十年も大切に使っていたこと。彼にとって、戦争は終わっていたのだろうか。
わたしはしばらく忘れていたけど、三十年の日記を読んでまた思い出すことができた。お爺ちゃんの記憶とまた繋がることができた。
一年前の日記を読み返してみると、お盆と台風が一緒に来たのを知りました。あの頃は、まだ知らない人たちの日常だったことがどこか遠く感じたのだけど、いま読んでみると、みんなの日記という「近くに居る」感覚になるのが面白い。
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スイスの山で見つけたお家。見えにくいが、家に横たわるように同じくらいの巨大な岩がある。見る限り、岩の一面を壁にしているような。入ってみてみたいなー。そして、いつかこんなところに住んでみたい。家の前にはベンチに横たわり本を読む人が。すてき。
イタリア・ベルガモ/46歳