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ソフィを学校に送って行くときに使っていた抜け道が、今週からクローズになった。7月半ばまで。イタリアではこういう案内を鵜呑...
Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2025年8月27日
お昼過ぎに、通り雨がザーっと降り湿気を残していく。雨のときはソレとルナはお家にすぐに入ってくる。太陽が出ているかをすぐに見分ける。
朝はバカンス明けの仕事に取り掛かる。キャリア面談で事前情報をもらっていたものの、子供の頃から何もやりたいことがないという背景などから苦戦すると思ったが、やはり少し手強かった。
わたしは部活とかに打ち込んできたことは全くないけれど、やりたいことはずっといっぱいあったから、真逆な人もいることを知る。だからといって全く理解できないわけでも無く、なんとなく積み重ねてきているどうしようもない諦め感が組織で働いている場合にはあるのもわかる。
哲学を好きになって良かったと、こういう機会があると思う。最終的には、己はどう生きたいのか、という問いに集約されていくのだと今は思っている。他者やら社会やらが絡んでくるのでこれがかなり混雑した問いに変化していくのだけれど、それでも Am I true to myself? はいつも問い続けたい。
この言葉は、上智大学の元教授でカトリックの神父でありながら仏教や禅宗など他宗教を学ばれて、日本、スリランカやパキスタンなど各地で実地活動をされている先生から、わたしに直接かけてもらったものだ。いまから3年前くらいになるだろうか。
養老孟司先生の「みんな違って当たり前」と並んで最近のわたしの考え方をフレームワークしている。特に欧州に住むようになってからは、周囲と比較することへの気苦労が意味のないものであることに気づいている。自分自身が圧倒的なマイノリティであることと、見かけでは同じような集団がほとんど居ないこと。だからわたしは私でいられる。というか、わたしはわたしのまま。ただ、それだけ。
これがニューヨークに住んでいたときは、まだ理解できていなかった。海外生活が初めてで、そんな余裕が無かったというのが本音。意味のわからない英語のなかで、毎日安全に、健康にやり過ごすことに精一杯だった。ある意味、真っ直ぐ生きていたとも言えるかも。
日記を書き始めると、書く前には思ってもいなかった思考が湧き上がってきて、予想しなかった展開になることが多い。それがもの凄く楽しい。今日はまさにそんな日記。
わかるとは、自分が変わること。これは山口周さんが書いてた。わたしは毎日日記を書いて、自分をより見つめるようになった。わかっているのかは、わからない。
こないだ通りかかったレストラン。
イタリア・ベルガモ/46歳