beach
イタリアのビーチは、ビキニが9割5分、長袖とかで体をおおってる人はゼロ。こどもから、80代のおばあちゃんまで、みんなビキ...
Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2025年9月2日
学校があと10日で始まるので、朝の早起きに取り組んでいる。ソフィは夜に目がギラギラになって全然寝ないので、当然朝もゆっくり寝る習慣がついてしまった。学校が始まれば7時には起きないといけないので、徐々に慣らしていく予定。
それにあわせて、先週から自分の中で取り組んでいることがある。それは、2回以上言わない。ソフィに言わば指示するというか、サゼッションする場面で、これまでは5回くらい言っても変化がないので自分で勝手にイライラしていた。例えば、歯を磨こうね、シャワー浴びようね、とか、そんな程度の日常の話。
それを2回までとする。「2回だけママがお手伝いできるときに言うから、そのタイミングでないなら自分で決めてね。でも、それ以降は自分でやろうね(髪の毛乾かすとかさ…という内心)」とソフィにも宣言をした。
哲学者である鷲田清一先生は、「待つ」ということ、のなかでこのようなことを書いている。
待つ、とは、期待せず信じて腕を広げておくこと。
待つことの選択が意味するのは、なによりも、関係を思い通りにしたいという自らの願望の遮断…
そう、わたしは「親として」という理由付けを勝手にしたうえで、娘との関係を思い通りにしようと願っていたのだろう。
だから、それを遮断まではできないけれど、ちょっとだけ変えてみようと思った。プレッシャーを与えるのではなく、待ってみる。ただし、少し前に軽い提案はしてみる。7歳は全く手放しにしておける年齢ではないと思っているので、あと数年かな、このバランスをちょっと続けてみたい。わたしが続けれるかどうか、わからないけど、今の段階ではやってみようと思っている。
ベルガモの15世紀に造られた壁。夕日の暖かな照り返しが、待つことを教えてくれている感じがした。
イタリア・ベルガモ/46歳