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    Sophy's philosophy

    Sophy's philosophy
    ソフィーズフィロソフィ

    maestra

    一昨日、ソフィが3年前まで通っていた幼稚園のグループwhatsappにメッセージが届いた。ソフィの担任だった先生が、急に亡くなった。まだ54歳。とってもとっても愛に満ちた、素晴らしい先生だった。幼稚園児のときは、土日にキャンプや釣りやBBQをしたりして、園の課外活動とは別のプライベートな場面でもたくさんたくさん子どもたちに知と愛情を注いでくれた。それは果たして、親自身にも届いてくる愛だったと感じる。

    詳しい理由は分からないけど、ほんとうに急なことだったそうだ。イタリアの幼稚園は、ちょうど9月1日から始まる。その直前に倒れて帰らぬ人となった。彼女は臓器提供を希望していたそうで、まだ病院に安置されていて家には戻って来ていないとも聞いた。ドナーになることを希望するというのも、ほんとうに彼女らしい。青い目をした美しい女性だった。そしてたくさんの人に、笑いと愛と希望を示してくれた。

    この数日は、自分がドナーとなることを希望できるか、と考える時間でもあった。この1年は、身近な人の死を経験する年だったけど、自分の死については考えたことがなかった。というか、怖くて考えられない。

    ちょうどこないだ、大学の友人と「死の哲学」という授業があったことをLINEで話していたところだった。わたしは全く覚えていないのだけれど、今となっては再受講したいほどのシラバスだ。大学時代、わたしはなぜあんなに呆けてしまっていたんだろう。

    ソフィには、マエストラ・バーバラが天国へと逝かれたことをまだ伝えていない。自分のなかで、どういう場面で、どのような言葉で伝えてあげたらいいのかが、まだわからない。父が急逝したときは、わたし自身がとても動揺していたし直ぐに日本へ戻りたかったので、ソフィの感情を気遣うことなど到底できなかったんだけど、ソフィも離れているじーじの存在がなくなる、ということについてはあまり実感がなかったようだった。

    マエストラには、卒園したあとも何度か会いに行き、ソフィの成長を見てもらっていた。9月からは3年生になるソフィに、また会わせてあげたかったな。なぜ、もっと会いに行かなかったんだろうという心残りだけが自分のなかでうぉんうぉんと鈍いサイレンを鳴らしている。

    書き手

    sophy

    sophy

    イタリア・ベルガモ/46歳

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