pumpkin flowers
昨日は夫のマンマがランチに招待してくれた。彼女にとっての孫ジョルジオがドイツに戻るから、みんなでお昼を食べようって。ジョ...

Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2025年10月23日
ロックダウンのときのことをあんまり思い出せないので写真を見てみたら、2020年の4月だった。そうだ、自分の誕生日もロックダウン解除されなかったなーと思って過ごしたんだったっけ。
コロナのパンデミックは、実はわたしが住んでいる北イタリアのベルガモの小さな街のエピデミックから始まった。2020年になったばかりの、1月の終わり頃だったと記憶している。
それから約3年間、わたしは日本に戻ることができなかった。物理的に飛行機が飛んでいなかったし、乗り継いで乗り継いで帰ったとしても、日本に着いてからの検疫で確か2週間の隔離生活が必要だった。ホテル代や羽田から実家まで辿り着く手段(やはり検疫のために、帰国後直ぐには公共交通機関や新幹線に乗れない)を考えても、まだ2歳くらいのソフィを連れて岐阜まで戻ることは不可能だった。完全に、閉じ込められた状態だった。
ただ、人との接触がなければ近所の散歩程度は認められていた。だからまだよちよちと歩くソフィと一緒に近くの草っ原や森を散策したのだった。そしてそれは、実は今の暮らしとあんまり変わってなかったりする。
でも、「制限されている」状態では、とんでもないストレスを感じるのだ。移動の自由が認められることの尊さよ。きっと、いま戦禍に生きる人々が感じる、そのほんの少しのカケラだけわたしも感じたことがあるのかもしれない。もちろん比べられるものではないけれど。
ロックダウンの記憶は、ほとんどが靄にかかっているけれど、携帯に残した動画や写真には、元気に遊ぶソフィの姿があった。それらを見返して、ちょっと救われた自分がいる。この日記に書いたことで、みんなからも気持ちを寄せてもらってほんとに救われている。ありがとう。
当時、一緒に遊べないノンナが2階からシャボン玉を飛ばしてくれて大喜びのソフィ2歳半を残しておく。奥に見える4月の山には、桜が咲いている。


イタリア・ベルガモ/46歳