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    Sophy's philosophy

    Sophy's philosophy
    ソフィーズフィロソフィ

    puppies bustling around

    2匹一緒に撮ろうとしても、どちらかが必ずブレる構図。人間のこどもたちの写真とおんなじだ。

    朝からまたうんちをして、元気に「おはよー」と言ってくれてるようで、オキシトシンが出る。ソフィのおむつ替えみたいに、おねしょシーツがどんなに臭くても、嫌な気が起こらないのは絶対にホルモンのおかげだ。

    目線が合った、メスのステッラ。まだワンパクというよりマンマをずっと欲しがる感じ。

    こちらはオスのジョベ。少し茶が濃いめに出てきた。オスだから体格がしっかりしていて脚もかなり太い。サークルの柵を乗り越えて外に出てきてしまうほどの好奇心を見せてきた。尻尾も柴らしくクルッと丸まってきた。耳はまだピンとはしてないな。

    もうすぐ1カ月になる。あと数ヶ月でバイバイかと思うだけで、こころがグイっとえぐられる感覚になる。

    昨日からキッチンに充満していたモツの匂いをとりたくて窓を開けたり換気していたけど、朝になったらもう匂わなくて安心した。でもお鍋の蓋を開けたら…と考えるとちょっと怖い。

    今朝読んだ、ルイスの言葉を載せておきたい。詩のように美しいのは、スペイン語だからかな。

    Ufff que difícil es a veces, pero este diario me ayudaa sacar una parte de mi , importante.

    (英訳)Ugh, it’s so difficult sometimes, but this diary helps me express an important part of myself. 

    「死」について書かれた日記だった。わたしが思うに、日本ではお葬式の時くらいに死について誰かと話すことがあるくらいだろうか。日常では、死について話すこと自体が憚かれるというか、積極的に向き合ってきたことではないように感じる。

    イタリアでは、カトリックという宗教観からか、死について感じることが日本のそれとは少し違う気もするけれど、彼らが死んだらイエスの元に戻ると考えていると聞いたことはある。だから死が怖くない、とも誰かが言っていたような記憶がある。

    わたしは、自分の死も怖いけど、誰かの死を受け止めること自体が怖い。どれだけ悲しみを乗り越えれば受け止められるのか、わからないからかもしれない。でも父の死は、いまはもう受け止めている自分がいるのも事実。だから自分はきっと大丈夫なんだとも思える。「死の哲学」って言う授業が大学であったけど、受けたか受けてないかも忘れてしまったくらい怠惰な学生時代を過ごしてしまった。また学びたい。

    書き手

    sophy

    sophy

    イタリア・ベルガモ/46歳

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