透明
日本人だけれど白米が得意じゃない。20代半ばまでかなりの偏食だったわたしは水・牛乳・白米・バニラアイスがきらいだった。ど...
浮記
2025年10月8日
例のキャンセル保険、夫も体調をくずしてしまったし、わたしも毎日騙し騙しでなんとかやってるしで、今回の子どもの体調不良を適用させようとしていたのだけど。
夫、気合いで解熱。
子ども、久しぶりの保育園をエンジョイしても尚元気。
わたし、ふたりがそうなら気合いでどうにかなるか!
てことで二転三転行くことにした。
初めての家族3人、一泊二日。
この行く行かない二転三転のことで、夫とは当日の朝まで喧嘩していたけれど、途中仲直りもできたし、何より子どもが、まー幸せそうで、ああ頑張って行ってよかったなあと。
普段あんまり手を繋ぎたがらないのに右にパパ左にママと交互に嬉しそうな顔で見上げてたくさん歩いたきみ。
いつもそんな寂しい想いをさせてしまっていたのかなあと申し訳なくなるほどで。
夜も不思議だった。いつもは大人ベッドふたつの溝に落ちないようにガードしている抱き枕をちゅっちゅっして寝付くので、寝かしつけといっても親がやることはたいしてない。絵本も読めて1冊、寝付く時に身体を触られるのもあんまり好きじゃないし話しかけると集中できなくなるようでサーキュレーターの環境音に身を任せ寝返り?転がりながらちゅっちゅして、その内寝付くという時間勝負。
しかし今日はホテルの部屋を暗くして布団に寝かせると黒く澄んだ真っ直ぐな眼でこちらをみつめてくるではありませんか。
わたしが「今日のおはなししよっか?」と聞くと、うんと頷いたようにみえた。
“今日の〇〇”とは、10年来の関係の夫と昔からやっている日記風に1日のことを話す遊びだ。
ルールを決めたわけじゃないけれど、朝起きた瞬間から事細かく全てを説明していく。本人じゃない人が本人に代わって話すのが面白いところで、自分の失言とかも相手の立場になってイヤだったと言ってみたりするので、その時険悪なムードだったとしても反省しつつ笑い話になったりして時間が無限にあった頃は出かけた日の寝る前によくやっていた。
子どもにたいしてはというと、生後6ヶ月の頃は朝寝昼寝の前によく話を聞いてくれたので、1ヶ月かけて『星の王子さま』を読んだこともあった。“今日の〇〇”もその時話していたので今日初めて聞いたわけではないけど、かなり久しぶりだったと思う。
今日の◯◯
話始めると仰向けのまま身体を動かさず、その黒い澄んだ瞳だけをこちらに向けて静かに聴き入っていた。自分が話せる単語がでてくると小さい声で繰り返す。「でんしゃ」「ぶーぶー」「まま」など。次第に繰り返すことがなくなっても、眠る気配はなく寝返りも打たずぴくりとせず、ただ長いまつ毛が動くだけみたいな瞬きを少しだけしてあとはひたすら吸い込まれるような黒い瞳でわたしの話を聴き続けていた。
子どもが正に赤ちゃんなときは神聖な生き物のように感じだが、今はそういう風に思うことはほぼなかった。自分からでてきたという意味で不思議な生き物だとは思うけれど神秘ではない。
だけど今日は、神が宿ったのかと思ってしまうほど畏れを感じた。自分が話していることもアドリブでしかないのに、なんだか見抜かれているような気すらして区切りのよいところで普段もやるように『第1章 終わり』と告げた。
子どもはまったく同じ態勢のまま、ゆっくり瞬きをして今日起きたことを噛み締めているようだった。瞬きは段々とゆっくりになっていった。わたしは子どもの反対側にいる夫にちらっと目線を送った。夫もこの不思議な時間におどろいている様子だった。
子どもはそのまま、本当に静かに寝た。静か過ぎて握りしめたままだったドクターイエローのおもちゃが手からこぼれて落ちた音が部屋中に響いたくらいだった。
わたしはドクターイエローを拾い上げて夫を和洋室の洋室側に手招きして、ふたりでいま見たものをヒソヒソ共有した。
それだけ楽しかったってことだろう、と夫は言っていたけれど、わたしは子どもという生き物を甘く見ていた気がして少し恥ずかしくなった。きっと毎日いろんなことを感じて考えて生きているのだろう。本当は親が教えられることなんてほぼなくて、大人が子どもといて教わることばかりなのだろう。
毎日ただただ一生懸命生きよう。毎日ちゃんとものを観よう。
そうして、ほんとうに旅行にいけてよかったと思えた。
個人的反省点としては「たった1時間未満の新幹線で大人も子どもも駅弁を食べようとすな!」ではあるけれど。結局わたしは欲張りなんだ。
写真は旅行と全く無関係の2022年民藝展に行った時のメモ。この時も直下にものを観る、について考えさせられたのだった。
埼玉県さいたま市/36歳