魔法にかけられて
サイコさん、聖蹟に住んでいたのですね!バスで始発と終点で繋がっているの、なんだか街と街が仲良し姉妹都市みたいでいいですよ...

浮記
2025年10月27日
またまた寝落ち。さいきん子どもの寝かしつけで寝落ちして、A.M2時あたりに起きて、風呂をすませ家事をしてまた寝るパターンになりつつある。寝落ちは失神した感覚でいくら合計がいつもより長くなろうと、あんまり寝たきがしない。でも1年前くらいから四六時中スマートウォッチをつけていて(appleではない)時間はもちろん睡眠の質を測った結果をみると、まあ悪くないのかなという気持ちになる。時計すら身に纏うのが苦手だったというのに、AIもそうだけど自分の生活にどこまで取り入れるか、人にはあまり説明できない感覚で生きている。便利が全てじゃないと思いたい、不便がもたらす?人間らしさを失いたくない。
さいきんそんなことばかり考えているし、商店内の皆さんの何気ない言葉がそれにつながっていく。
とこさん、クロウタドリさん、あんな読みにくい文章をありがとうございます。何度も読み返したとあったので、慌てて自分でも読み直したらいつもに増して誤字脱字が多いわ、冷静に書いたつもりが本当に冷静になって読み返すと動揺している文章だなと。
つまりわたしは「幼少期のある経験から、ありのままの自分を他人に見せるのが怖くなった」「自分の無意識な行いが人を傷つけ、自分の大切な人を巻き込んだという想定外のことがショッキングだった」ということですね。引っ越しはわたしのことが少なからず関係していたとしても、理由にはなっていないと思うのですが、やっぱり環境を変えるって大事だし、幼少期からコミュニティをいくつももたせてあげる?てのは、親になったいま大事だよなと思います。学校だけが全てじゃないとか。生きるのが一番だから、ここがだめならあそこへ、あそこがだめなら海外でも。今目の前に映る世界がすべてじゃないよって、あの時の自分にいったとて、何か変わったかなあとは思いますが。し、あの時負った傷のおかげで、わたしの場合「生きていてよかった」と何度もも思えたから、今はいい経験だったと思うのです。あんな恨み節になってしまったけれど、あの経験(25歳くらいまでのこと全て)があったからこそ、やさしくなれたし、出会いがあった。まあ、親からしたらずっとヒヤヒヤの親不孝ではありますが、いまは「わたしが生きているだけで親孝行♡」とすら思えるほどの自己肯定感。(わたしに必要なのは自己肯定ではなく自己承認なのだけど)
あと、ある時からわたしはいつも「やさしい人間になりたい」てずっと言っている気がする。これも説明できないけれど、その「やさしい人間」に出会うとセンサーが働いて犬のようにシッポふって懐いてしまうきらいもある、笑
でもそれは「敵か味方か」ではない気がするんだよな。
そして印刷して紙に貼りたいソフィさんの言葉を引用させてください。
“その都度、自分のこころに耳を向ける生きかたは、アジャストする瞬間はハッスルだけれど、あとあとで気楽になるんだろうな。変わっていくのが当たり前なイタリア生活。”
この間の島縞さんといい、引用したい言葉であふれている。我が家のトイレは小説の好きな言葉が適当に貼り付けられているが、このままいけばきっと三十年商店語録になる。
今日は年に1度の?お弁当day。
はりきったのに寝坊したし、わたしにキャラ弁など100年早かったようで、海苔でトーマスと思ったら平安時代の謎麻呂ができあがって戦慄。

子どもよ、ゴメン。せっかくお弁当箱でテンションぶちあがりの後に蓋を開けたら知らないオッサンでてきて…
迎えにいくと、そんなことより全ての持ち物に名前を書いていなかった&量が多すぎという優しい指摘。わたしだけじゃなかったようだけど、前者はもうすっかりさっぱり忘れていた。年1の初めてのDAYだったもんで。基本だからお便りにもかいてなかったしな、あー申し訳ない。後者はつまり愛だよねって笑い話。
毎日の給食に感謝。お弁当って冷食でも量が多くても華やかでも全部愛。つめるの自体やってみると難しいセンス案件。もしくは訓練。あらためてemiさんのお弁当はすんばらしい。

埼玉県さいたま市/36歳