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    わたしのレシーヘン

    わたしのレシーヘン
    ワタシノレシーヘン

    ¥9,530 受診料(大きな病院)

    でかでかと「商店」と掲げておきながら、店主である私は、ここを自分の「手帳」のように位置づけている。

    なので、昨日のことをここに書き留めておきたい。人生全般フィーリングで生きている節があり、常識と言われることへの理解が甘い私の手帳であり、私の記録のために書きます。

    9時に病院着いて、手術着に着替えてボケーっと個室(でもない。ちょっとした囲いの中)で待って、「手術がんばろーねー麻酔打つねー」と骨髄?尾骶骨?に注射されたのが10時前。「え、けっこう痛いんですけど」「うん、でもめちゃきれいに入ったよー!」みたいなやりとりをして、車イスで待機。

    しばらくして手術室に入って、あれこれ準備して、というかされるがまま、私は何もしていない。かたわらに、寄り添ってくれている看護婦さんがいて、その方がめっちゃやさしい口調だった。とろーんとした喋り方で、気持ちがやわらいだ。ハキハキ!テキパキ!とは真逆の雰囲気なので、一見すると仕事ができないっぽく見えてしまったのだけど、適材適所というか、この方の強みが生かされた配置だなーと思いをめぐらせたりする、まな板の上の鯉。

    いよいよ先生がやってきて、手術の方針が最終決定。「んじゃ、少しずつ麻酔していくねー!」のあたりでクラシックが流れはじめ、「この曲が終わるころには手術終わってるからねー」と言われたあたりが一旦最後。

    つぎの記憶は身体の中?脳の中?の映像で、何かに抗う自分自身みたいな映像が見えた。しばらくその攻防がつづき、抗うのをやめたあとか、波がおさまったあとか、はじめて聞こえてきたのが「救急車よんで!」だった。そのあと、名前を連呼されるやつがあって、やっと声を出せて、私が口にしたのが「(ワタシ)死ぬ?」

    昨夜、ムスメとお風呂の中で「お母さんが死んじゃったら、ごはんどうする?お父さん、そんなに作れないよね?」という話が現実になったのかーと一瞬よぎったが、かえってきた答えが「死なないよ、大丈夫」でいっきに安心して、我にかえった覚えがある。

    手術がおこなわれているのは、ビルの中にある小さなクリニックなのだけど、大きな病院に救急車でいくってことは、まぁ大変なことなんだろうなーああ、あー。意識がもどってきて、クリニックの先生から麻酔の中毒?アレルギー?で意識を失ったと聞いたとき、私が一番に思ったのは「え、これから海外住めないじゃん!」だった。

    そこからは、意識はもどっているのに、着るものもとりあえずな、まな鯉状態で、救急隊に搬送されるの、はずかしい。ベッドからベッドに移るやつとか、何人がかりかしらんが、めちゃ重そうだし、ドラマで見る「イチニサン!」だし。もう目をつむっているしかない。もう一度意識失いたいぐらいだった。

    大きな病院着いたら着いたで、やってくる先生が、ザ・お医者さんなイケメン、でおおお!となる冷静さをすっかり、とりもどしていた。だから、ここではベッドへの平行移動も自分でやらせてもらった。基本的な検査みたいなものをしたあと、脳のCTとってもらって、異常なしが確認でき、「今回の症状は麻酔のアレルギーで説明がつきますね!」ということで一件落着。ここでの聞き取りされる中で、自分が人生の中で意外と麻酔を使ってきている方なのかもと気がつくけど、一般的な量のような気もする。

    この病院で自宅から呼び出されたオットと合流できたのだが、オットが来る前に「奥さんが手術なのに、おうちにいるなんてヒドイわねぇー!」と言ってきたおばさん看護師さんがいた。「は?その声がけどうなん?」と思った。こちららも、オットが到着しないことに若干の不安があるところ、それをさらに広げる意味ある? そのあと若い看護師さんは「突然で、びっくりしましよね」と声がけしてくれ、そっちだよなーと思った。

    年齢のせいにするような書き方をしてしまったけれど、年齢は関係ないんだろう。そうゆう人なんだな、仕方ないな、と思えたと同時に、自分がやらないように気をつけたいなと思ったのです。

    今日はここまで。写真は、すっかり書かれなくなってしまった、今年の手帳。来年からは手帳を買うのをやめようw

    書き手

    sakipomco

    sakipomco

    神奈川県逗子市/45歳

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