変わらないことは、心地良さでもある
昨日に引き続き今日も街はお祭りムード。 ...
わたしのレシーヘン
ワタシノレシーヘン
2024年9月26日
「イカリ炎上中!ゲキリンニ フレテシマイマシタ!」というアナウンスとともに警報ベルがなるボタン。我が家のダイニングに置いてある。数年前、ガチャガチャでゲットしたもの。
わたしたち夫婦は、もともと、溜め込んだりせずに、その場で不平不満を口にする夫婦である。その空間にいる子供には「ハーッ(また、はじまった……)」とため息をつかれるし、「それって、疲れない?」と友達に言われるが、あとから言っても、オットは覚えていないし、つぎからつぎへとその瞬間がやってくるので、待ってもいられない感じ。
かと言って、私の育った家は、そんな感じでは全くなくて、母は外でガンガン働きつつも、家では父に反論するようなことはなく、万事、支えるような関係だったように思う。
私たち親の中で「いまの言い方、嫌だった」「それはアウトだ」みたいな言葉が日常的に飛び交う(というか、言うのは主に私かもw)ものだから、こどもたちも自分の意向を割と伝えてくる。「いまの〇〇を褒めてほしい」「わたしのことを疑ったこと、ちゃんと謝ってほしい」みたいなこと。
ときどき、私がオットに対して、言葉をグッと堪えていると、こどもたちが察知して、このボタンを押しにいくこともある。「押してくれ!」と誰かが誰かに頼むこともある。このボタンが押されると、一旦、空気がフワリと和むところがいいところ。我が家史上、稀に見るガチャガチャの値段300円以上の、かなり大きな価値を生み出している品である。
「隠すとダーク」「隠すからダーク」というのが最近のわたしの中で主流の考えとなっている。
怒りみたいなものは、暗いところに置いておくから、ダークなのであって、明るいところに出してみたら、ダークでも引け目でもなくなると思う。中身を分解して、見てみる方がいい。(って、エラソーだが、完全にオノチャンの二番煎じですわ)
さぁ、この流れ、どうやってまとめようかと迷っていたけど、私は、母が父のいないところで、自分に、父への不満みたいなものを話してくるのが嫌だったのかもしれないなーと、コレを書いてみて気がついた。
だから、その逆をやっているのか?