思い込みにさようなら
なんとなく、気持ちが向かなくて距離をとっていたものがあった。けれど、今日は思い切ってそれを再開してみた。再開してみると心...
島縞
シマシマ
2025年7月19日
甥っ子が夏休み、実家で過ごすということでもれなく?私たち親子もくっついてきた。
いつもはふたりきり、寂しくもあり、それが一番落ち着く娘にとって、生まれが2ヶ月しか変わらない甥っ子は、同世代で唯一心許して一緒に過ごせる存在。
あとから振り返れば、この夏も、娘にとっての転機になるのかもしれない。
娘がひとりにならない=私がひとりで外に出かけられる、とあって早速出かけてきた。
自身で道を切り開いていくパワフルな女性のもとに。この日は、あるイベントがあった。
昔からずっと、当たり前に家庭で行われていて、家族にひとりは出来る人がいたと言う「手あて」を受けた。
宗教とか、スピリチュアルとか、そういうものではなくて、その単語が存在する通り、ひとに手を当てて誰にでも出来ることなんだとか。
自然の中でパワーを貰うみたいに、ひとを介してパワーをいただいて、身体がもともと持っている治そうとする働きで治癒に向かう。
魔法とかではないから、痛みや病気の根源を取り除けるわけではなく、あくまで自然のパワーを伝えるだけ。だから、やっているひとは全然疲れないらしくて、むしろ元気になっていくひとを見てどんどんご自身も嬉しく元気になっていくらしい。
私は、主人に何もしてあげられなかったから、こういう事できていたら何かが少し、違っていたのかなとも思いつつ、どうにもならないことはあるのだという諦めのような飲み込むしかないような、そんな思いを沈めている。
不登校がどうにかならなくても、娘が娘らしく、道を切り開いていけたら。
そのサポートをずっとやっていけるわけではないし、自身で切り開いていくものだと思うから、あれこれと口を出す時期は過ぎたけれど、親として、見守り、何かあったときにはそっと手を背中にあてて、大丈夫だと伝え続けたい。
離れて暮らす日が来ても、直接は触れられなくても、そうしたい。これは祈りのようでもある。
ちょっと、怪しい内容になってしまったでしょうか。もしこの場にそぐわないようであればご一報ください!
ぐっさんさんの冒頭、「商店内がぞくぞくと期末ムードで、夏がさらに加速している。」に本当そうだなぁと思う、皆さんの日記。