2024年最終日@東京
いよいよ大晦日。 今年最後の日、2024年が終わる。 . 我が家の状況としては特に変わらず、兄弟は一日パジャマで療養生活...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2025年9月9日
今日は非常にバッドな日であったので、リアルタイムな自分のことを書くのはやめる。代わりと言っては何ですが、皆さんの日記を読んで思い出したことなどを書いてみる日にする。
サイコさん未来の二拠点生活候補を読んで、母のふるさと北海道の小樽を思い出した。坂の街でまさに高台から海が見下ろせる景色は美しかった。しかし冬の寒さは経験したことがないので、候補地としてお勧めするには情報不足。多分寒い、いや絶対寒いか!
ソフィーさんのイタリア映画館の話を興味深く読んだ。おおらかなイタリア人のみなさまは日本人には持っていないものを沢山持っているんだろうな。それを読んだ後に乗った地下鉄で、隣に座っていた女の子2人はおそらく小学生1年生くらいだったろうか。海外の子で、隣には(おそらく)お母さんも乗っていた。姉妹だったのかな?詳細は省くけれど「おお、これがきっと文化の差だな」と思うことがあった。ソフィーさんの日記を読んでいたからこそ、そこに視点がいったのだと思う。これは気づきである。
国宝観てるときの張り詰めた空気わかります、ポップコーン全然食べれませんでした笑
しましまさんが俳句と短歌について書いてらして、しましまさんの句や歌、その創作の裏側が日記で読めたら嬉しいだろうなと思った。そして青春の記憶も蘇った。私は大学3年の時に短歌を詠むゼミに入っていた。今思えばもう少し真面目に取り組めば良かったのになと思うのだけど、大学時代はそれより楽しいことが沢山あったのかもしれない(もちろんそっちも大切だったと思う)でも、先生のご指導のおかげで学生コンテストで賞を頂いたことがあり、怠惰な学生生活のなかで唯一誇れることであったし、ひとつの達成感もあった。
短歌はご存知の通り俳句より文字数が多く、決まりごとも少ない。ある意味非常に自由に詠むことができる。それでも基本となる5・7・5・7・7の音は普段の文章より圧倒的に短いし、時に音楽で言う譜割りのような、リズム感を詠むことがよくある。すごく打楽的な文学であると感じていて、音をものすごく大切にする部分が大きな魅力であった。
ゼミでは一人一人がその週に作ってきた一首を読み上げて「こういう歌です」と説明をしていた。歌会に近い形かと思う。毎回男の子のことを詠んでいた恋愛マスターな女の子、すごく文学的で崇高な内容を詠んでいた男の子、いろんな同期がいたけれど、皆それぞれ学生ながらに作風があったように思う。私はというと、家族のことや日常風景、時に恋愛や人間関係など、まあつまり毎日ここに書いてあるようなことを詠んでいたように思う。およそ20年前から書きたいことは変わらないのかもしれない。
emiちゃんちのお弁当いつも本当においしそう、ああ、emiちゃんちの娘になりたい笑
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