“自由な人に憧れます”
菊池亜希子ちゃんのポットキャスト「スープのじかん」のゲストがイラストレーターのたなかみさきさんだった。と言っても存じ上げ...
1/10957
イチマンキュウヒャクゴジュウナナンブンノイチ
2025年10月23日
ウチは両親の仲がとてもよかった。もちろん喧嘩もしていたけど、わたしが高校くらいの時も家族で外出すると、ふたりは手を繋いだり腕を組んだりして歩いていた。
そんな母から「お父さんから一度だけ、叩かれたことある」と聞き、全く想像つかず驚いた。それはわたしが赤ちゃんの頃、なかなか食べない離乳食をようやく食べさせたところで、マーライオンのように全部吐き戻したらしい。瞬間的にプツンと何かがキレて母はわたしをぶった。(もちろん全く記憶にない)それを見ていた父が母をパチン!とやったそうな。
食事は単なる引き金で、母の中に沸々としたものが溜まっていたのだろう。今なら母の心情も父の気持ちも全部理解できる。
とは言え、その後NO暴力で育てられたかと言えばそんなことはなく、父からお尻をパチンとされた記憶もある。そういう時代だった。けど基本的には怒られる時は暴力ではなく、外に出される手法だった。(親にされたことは子にもしがちで、息子にも同じ手法を使う。)
3つ下に弟がいる。小さい頃は姉弟喧嘩は日常茶飯事でボコボコにしていた。けど中学くらいかな? 弟の方が力が強くなった頃、わたしに反撃する弟を父がバチーン!とやった。「男は女に絶対手をあげるな!」と。なんかよくわからないけどラッキー!と思ったのと、弟の「なんで??今まで散々やられてきて、やっと逆転したのになんで?? 不公平過ぎじゃん!!」みたいなのと全部セットでよく覚えている。
家族と暴力。近すぎる距離感と長時間の共有と愛と甘えの混在が故、巻き起こる。
我家はご存知の通りしょっちゅうバトっているけれど、暴力沙汰にはなっていない。夫婦喧嘩で物を投げたりするって話も聞くけど、それもしない。戦いはいつだって、タチの悪い冷戦です。苦笑
かきぬまさんの日記を読んで書こうと思うこともあったけど、直前に読んだタバタくんの日記に引っ張られた。うん、振り返って「全て愛だった」って思えることは本当に全て愛だよね。だからいつか相手に必ず伝わる。
ソフィへ。辛かった思い出を書いてくれてありがとう。子どもは本当あっと言う間に大きくなるけど、それは後になってはじめてわかることで渦中の時はもうずーっとこんな生活かと思うよね。しかもスーパーにも外出許可が必要なロックダウンのワンオペって。わたしが同じ立場だったら乗り切れた気がしないよ。よくがんばったねー。泣
写真は全然関係ない。さっき見たら息子の部屋に変な生き物がまた1つ増えていた。タイトルとのギャップがいいでしょ。