夫、40歳。
夫が40になった! 9月22日は夫の誕生日である。 単身赴任中の夫ではあるが、ちょうど週末と祝日に挟まれた...

かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2025年11月9日

あれは秋のはじめだっただろうか?新潟の実家に一通のハガキが届いた。高校同窓会のおしらせ。しかし、毎年届くそれではなく「母校がなくなります(正確には校名が変わり、カリキュラムも大きく変わる…らしい)」という案内でもあった。
毎年夏に母校がある南魚沼の地で同窓会は開催されていたのだが、実は参加したことが一度もなかった。薄情な卒業生で申し訳ない。今回はじめて新潟開催だけでなく、東京でも開催すると書かれている。単純な同窓会というより「母校大改編のタイミングでこれからの同窓会について意見交換しましょう」という側面もあるようだった。
高校時代に仲が良かった友人3名のグループLINEがあるのだが「実家にこんなハガキが届いたらしい」と話題になった。3人とも大学は違えど進学とともに上京している上京組。「これ、いく?」と投げかけると一人が「はじめて東京であるっぽいし、行ってみようかな」と。じゃあ行くか、と三人で行くことになる。場所は麻布十番、南魚沼の1万倍くらい都会!
と、前置きがだいぶ長くなってしまったのだが、今日はそんな同窓会開催の日だったわけです。
今や4000名の卒業生がいるらしいが、東京会場の参加者は35名程度、先立って開催された新潟会場は25名程度の参加だったとのこと。私たちは12期生だが、同期は私たち3名のみだった。でも、以前にも書いた通りだいぶ変わった学校だったので、卒業年次こそ違えど共感できるエピソードには事欠かず。はじめましての同窓生と話すだけでもめちゃくちゃ懐かしい記憶が、これでもかと掘り起こされた。
冒頭ひとりずつ自己紹介をする時間があって「高校時代の思い出深いエピソード」をひとつ話すことになっていた。私たち3名がここまで仲良くなったのは海外研修という、その名の通り1週間程海外にホームステイするカリキュラムの時だった。アメリカ・シカゴに1週間滞在し、日本へ帰る飛行機で私たちは横並びの席になった。その場で何故か妙に意気投合してからの仲なのだが、私は「一番の思い出」としてその話をした。
そのバトンを受け取って次に話した友人が「今、横にいる板谷(私の旧姓です笑)も言いましたが、あの時の縁でこうして“一生の友人”ができたことが…」と話した。16で出会った私たち、改めて40代目前で聞く「一生の友達」はなんだか猛烈に沁みた笑
自分の人生において誰かが自分のことを「一生の友達」と言ってくれるという、それを経験できただけで、私の人生は幸せなのかも。なんて書いたら大袈裟だろうか。頭の中で流れるのはSMAPが歌う「♪あのころの未来に、ぼくらは立っているのかなぁ」である笑
とかエモい気持ちになっていたら「毎年幹事持ち回りで開催しています同窓会ですが、来年は12期が幹事の年です、宜しくお願いします」と言われ、顔を見合わす我々。決して幹事キャラの3名では…ない。
来年の夏(秋?)どうなることやら…!!!!
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