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    バルタザールどこへ行く

    日曜日、我が家のクリスマスウィークがはじまった。

    夫は幼稚園〜大学まで、すべてエスカレーターな訳ではなくキリスト系の学校に通っていた。敬虔なクリスチャンではなく、日本人あるあるのいいとこどりの精神ではあるが、それでも同じ無宗教の卒業生のなかでは学園生活を終えてもその精神をひきついでいる(そもそも宗教や哲学をまんべんなく取り入れているかんじ)。わたしはと言うとまったく無縁な人生を送っておりクリスマスに対して良いも悪いもなんの思い入れもなかった。自然と家族と過ごすことはなくなっていたけど絶対恋人と過ごしたいと躍起になるタイプでもなかった。それが夫と出会ってからというものの、1年のイベントのなかで一番クリスマスを大事にするようになったかもしれない。神は存在しないと思っていたけど、いまはいてほしいと思っているし、なんとなく気配をかんじるときがある。でもその気配をかんじるには、こうやって毎日日記を綴るような、頭のてっぺんから足のつま先まで力をいれるのではなく精神を研ぎ澄ませていないとわからないから、それを意識するためにもクリスマス・ミサに行くようになった。強い思い入れがあるような、でも細かいこというと何かひとつの強い意思があるのではなくふわっとした想いで、わたし達の結婚記念日はクリスマス・イヴである。この感じ、言葉じゃうまく説明できないや。だからこそ(?)わたし達は式もあげなかった。必要ないと思ったから。コロナ禍で面倒だったてのもあるけど、強い意思ではなくふんわり、だけど静かにふたりで決めたことなのだ。

     

    前置きが長くなってしまったけど、今日はロバの音楽座『ロバのクリスマス』へ。子どもが産まれる前から興味があり、昨年満を辞して3人で参加。0歳児だった子どもがそれはそれは真剣に受けとめ楽しんでいたことがうれしくって、そしてそれ以上に自分たちが想像の何倍もたのしかったので、もちろん今年も。昨年の0-3歳用のプログラムは保育園のクリスマスと重なってしまったので今年は全年齢向けを。

     

    昨日の寝不足がたたり子どもは若干眠そうだったが、音楽だけでなく更紗さんの踊りに釘付け。後半は自由にコメントしながら観ていてやっぱり愛しい時間だった。

    途中、影絵がぐるぐるまわっているのをみたとき、映画『バルタザールどこへ行く』のシーンが途切れ途切れよみがえってきた。ロバの音楽座だからか、いや、わたしの中であの映画が“慈しみ”だからだ。世界中の子ども達や動物や、うそのない全てのこと、それらを想うと涙がでそうで、でなくて、ざわざわ哀しいような嬉しいような、涙にならない熱い雫が身体中に溜まっていく想いがした。子どもの体温をかんじながら、ざわざわそんな想いにのみこまれて、まさにわたしの中で“クリスマス”を感じたのだった。

    終わって、目の前の玉川上水沿いをひたすら遊ぶ子ども。この1年の時の流れの速さに感慨深くなったけれど夫と子どもが石や枝や落ち葉であそぶ姿をみていたらスローモーションみたいな、終わらないエンドロールみたいな、不思議な感覚だった。

     

    きっともっと何時間でも遊べたのだけど、昨年と同じ立川のGreen Springsにある100本のスプーンへ。籍をいれた日もこのGreenSprings内の焼肉を食べた思い出の場所。ここでも子どもはただただ無邪気に歩き回り3人でいるだけで幸せっ!ていう顔をしていた。

     

    いよいよ帰るぞっとベビーカーに載せたら秒で眠った。帰宅してM-1を観て、真空ジェシカが敗退したのであきらめて寝かしつけ寝落ち。

     

    この数年でわたしをとりまく世界はめまぐるしく変わった。いつも不平不満を言ってしまうけれど世界で一番しあわせかもしれないと思った。生きているもの皆すべてが「世界で一番しあわせ」と思えたらいいのに。せめて1年に1度きり一瞬でも。そんな思い出があれば、ずっと生きていられる。そうだ、やっぱり、バルタザールどこへ行く、だ。

    書き手

    migiwa

    migiwa

    埼玉県さいたま市/36歳

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