ポンピドゥーの思い出
水曜、ボーイの登校に付き添ってそのまま大...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2025年2月3日
日記を開いたら自分の投稿以外にもバースデーケーキが並んでいて幸せな気分になる(レシーヘンさんちの娘ちゃん、一日違いのお誕生日おめでとう!)
そして了子さんのおうちのスモーキーのお話は胸にくるものがあった。それを読んで、私もある日のことを書いておこうと思った。
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私は小さい時から一度も生き物を飼ったことがなく(母は幼い頃に可愛がっていた犬を亡くしたことが強く記憶に残っているようで、もう生き物を飼いたくなかったらしい)このまま飼う予定もないかなと思っていた。
が、一時期次男が魚に対し猛烈に興味を抱いた時期があり、どうしても魚を釣ってみたいと言ったことがあった。我が家から一番近くで魚を釣れるところってどこだ?と思った時に頭に浮かんだのが市ヶ谷駅から見える釣り堀だった。あそこなら超初心者以下の私たちでも何かしら釣る体験ができるかな?と思って、ある日曜日に家族で訪れた。
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行ってみると普通の釣り堀以外に、小さい子でも挑戦できる金魚釣りゾーンがあり(小さい子でもできる、とはいえお祭りの露店レベルなどではなく、しっかりと釣り堀感があった)そこで金魚を釣ることになった。これ本当に金魚?と思えるようなでっかいやつらがたくさん泳いでいた。
何匹か釣ることができ、最後受付に釣った魚と道具を返しに行くと「釣れた金魚は持って帰りますか?」と聞かれた。持って帰れるんだと驚いていたが、そうなるともう持ち帰らないという選択肢はなかった。
という訳でまんまと横にある売店で大きな水槽などを購入し、4匹の金魚が電車に乗って我が家にやってきた。
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そんな4匹の金魚だったが、丸っこいやつと鯉のような形のやつ、2種類が混在していた。あとで調べてわかったことだったのだが、別の種類の金魚を同じ水槽で買うのは良くないことだったらしい。丸っこい種類の2匹が相次いで死んでしまった。息子たちは早々に名前もつけていたので「◯◯と××が死んでしまった」と死んでしまった2匹のことをしっかりと認識していた。
私も飼っていた生き物が死ぬという事実を初めて目の当たりにし、少なからず動揺していた。部屋の中に死んだものが存在している、という事実は思った以上に私の気持ちにも影響を与えた。でもこれはしっかり対面すべき感情なんだろうと心に刻んだ。
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息子たちと死んでしまった金魚をケースに入れて、近くのお寺の土のところに埋めに行った。それまで普通に土を掘っていた息子たちだったのだが、埋めた瞬間、急に次男がうわーーーんと泣き出した。次男より先に少しだけちょっぴり大人になってしまった長男と、すっかり大人になってしまった私の代わりに次男が泣いてくれたんだと思う。
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生き物が死ぬという経験が何を与えてくれるのか、ということを考えようとして、なんだかその考えはエゴ丸出しだなと恥ずかしくなった。それを通して何を知るのかとか、それが何を与えるとか、そういうことじゃないよな。生きるものは全ていつか死ぬ。それはどう足掻いても変えることのできない事実で、それ以上のものを求めるなんておこがましい。
私はこの日のことを忘れてはならないなと思って、泣いている次男の写真を一枚撮った。
(ちなみに残された2匹は今もすこぶる元気にしています。仲良く長生きしようぜ!)
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