楽しいと思えるのは自分が消費者だからだよ
去年の今頃は全力で寿司職人を目指していた。私は寿司でNYに行く人だと信じてやまなくて、電車でもずっと寿司を...

もしもし五島列島
モシモシゴトウレットウ
2026年4月28日

昨日、お世話になっている方が主催する「DJパーティー」というものに足を運んでみた。行く前から、どう考えても自分の居場所ではない予感はしていたけれど、「顔を出した方がいい」「挨拶くらいはしなきゃいけない」という謎の義務感に背中を押され、勇気を振り絞って入ったのだ。
けれど、会場に一歩踏み出した瞬間に悟った。「ああ、やっぱり絶対に違う」と
ドリンク代を払っている時も、飲み物を受け取った時も、頭の中では「今すぐ帰った方がいい」という警告が鳴り響いていた。それでも私は、何者かと必死に戦っていた。
音楽とライトがグルグルと回る世界。周囲がリズムに身を任せるなか、私は踊ることもできず、ただ小刻みに首を動かすことしかできない。その「小刻みな首の動き」のまま、自然と足も動かして出口へ向かえばいいのに、なぜか帰ることができない。まるで足の裏に強力な接着剤を塗られたみたいに床に固まってしまい、結局ずっとその場に立ち尽くしていた。
これまでは「顔を出すことがすべてだ」と思っていたけれど、逆に行くことで、自分の居心地の悪さが周りに伝わって迷惑になってしまうこともあるんだな、と学んだ。
無理してどこかへ飛び込む勇気もいいけれど、時には「黙って家で待っている」ことも立派な選択なのだ。そんなことを考えながら、私は静かな自分の部屋の良さを噛み締めている。
削り取ったエネルギーでその場にいても、実は相手に気を遣わせてしまうこともある。
むしろ、自分にとって心地よい場所で、自分らしく健やかにいること。
その方が、巡り巡って大切な人への、本当の敬意になることもあるのだ。
むやみに出かけず、「しずかなひと」になろうと思う。
予定を埋めることで自分を証明するのをやめて、五島の風の音を聴いたり、作品の構想を練ったり、ただただ、自分の内側にある静けさを耕していく。
無理をして外へ、外へと向かっていた手を、自分の胸の上にそっと戻してあげる。
行かないという選択が、自分にとっても相手にとっても、一番優しい答えになることだってある。