ご機嫌の騒音
ご機嫌でいよう、と最近よく思う。 機嫌がいい人のそばには、いい空気が流れる気がするし、自分の人生を自分でち...

もしもし五島列島
モシモシゴトウレットウ
2026年5月9日

Podcastの祭典イベントに参加してきました。そこで改めて確信したのは、「今年は特にPodcastだけを信じていこう」ということです。
「食い意地ラジオ」という、私の食欲と妄想をただただ垂れ流すだけの謎の番組を始めて、1年が経ちました。
誰が聴いているかわからない。もしかしたら、誰も聴いていないかもしれない。もしかしたらどころか、たぶん誰も聴いてない。
でも、そんなことはどうでもいいんです。
普段、フリーランスイラストレーターとして活動していると、SNSのフォロワー数や「数字」という依存性の高い指標に振り回され、人のキラキラしたストーリーを見ては勝手に苦しみまくっています。けれど、ポッドキャストはいつだって「一方的」です。
お気に入りのぬいぐるみに話しかけるときのように、返事がなくても、答えが返ってこなくてもいい。ただ私が喋っているだけで、私のどうしようもない食欲を、ポッドキャストは黙って受け止めてくれる。それは、まるですべてを寛大に包み込んでくれる、優しいベイマックスのような存在です。
数字が見えすぎるSNSはあまりココロに良くない、、だけどみちゃう、、好きよ、、、
私がポッドキャストで話しているのは、食にまつわるすべてのこと。
楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、そして誰にも言えないけど、いわないとムズムズするような「みっともない食い意地」。
顔が見えないからこそ、個人が特定されやすすぎる今の時代において、これほど無責任に、呑気に、自由に話せる場所はありません(これはただ自分が売れてないからこそできることでもあるけど)。
自分の内側にある変なこだわりや、変な妄想を、とことん丸裸にできる場所。
「続けていてすごいね」と言われることもありますが、私にとっては努力ではなく、快楽であり、最高のご褒美なんです。
もし話す場所がなかったら、私はきっと、自分の中に溜まりに溜まった感情で風船のように爆発していたでしょう。口に出して放流することで、私の理性が保たれているのだと思います。
もちろん、本音を言えば「もっと聴かれたい」「フォロワーが欲しい」と思う瞬間もあります。
けれど、たった数人の友達に自分の番組を教えるだけでドギマギしてしまう私にとっては、「誰に話してるかわかんないけど、たぶん誰か聞いてる不確実性」「私そのものを知られていない幸せ」という場所が、何よりの救いになっています。
フォロワー数ばかり気にしていた私にとって、広まること=幸せだったけど、そうじゃなくて、「好き」を「好き」で居続けるために、宝物のように自分の中に留めておく。日常や現実生活において軽々しく自分の好きなことを口にしないこと。
ポッドキャストは、大切なことを教えてくれました。
宝箱を作って永遠開かず終わる時が多々あり、これって意味あるのかなとおもってたけど、宝物だからこそ宝箱にしまって開かない。という選択肢が必要なのか、、!と気づきました。
個人を隠して偏愛だけを起点に発信してるからこそ、面白い繋がりや出会いが起こりがちなのがPodcastだと思っています。
まさか、、こんな変なラジオを聴いてくれてるとは、、、な、リスナーさんのコメントが届く瞬間。それはまるで、『どうぶつの森』で空からプレゼント付きの手紙が降ってきたときのような、思考が追いつかないほどの驚きと喜びです。
今の時代、トレンディドラマのような「運命」や「奇跡」は起こりにくいかもしれない。
けれど、この変なラジオを聴いてくれて、同じテンションで、同じ変な話ができる誰かと出会えたこと。それは、ポッドキャストという媒体が運んできてくれた、現代の奇跡なのだと思います。
ポッドキャストは、私にとってSNSのマザーテレサです。
これからも、誰に忖度することもなく、自分の「変」を丸裸にしながら、生きてる実感を噛み締めて喋り続けていこうと思います。Podcastで生きてゆく!
Podcastexpoに参加して、たくさんの発信者の方と話して思ったのは、好きに真っ直ぐで、素直で、偏愛は恥ずかしいものではなくて変であろうと堂々と話す目はみんなキラキラしてたのしそう。こっちもそのワクワクが伝播する。
そしてなにより驚いたのは、発信者よりリスナーのほうが意外と熱量高いってこと。コミュニティの強さがいいな。
発信者として頑張っていきたい。