
1日、あっっっ!という間にすぎる。
もうすぐ7月がおわってしまう。OKで買い物をしていて“賞味期限8/2”で割引シールのものを手に取って、そんな、どうもありがとうと思ったけれど今日めっちゃ月末か。夜はもちろん、午前中仕事が短い日に調べ事をしているとお迎えまでの数時間がほんとに10分くらいの勢いですぎる。それくらい集中している。集中力がありすぎて、トイレはもちろん身だしなみや水分補給すべてのことがどうでもよくなる。悪いことじゃないかもしれないけれど、こういった目先の報酬のためにこのレベルの集中力が発動するのでやっぱりあまりよくないと思う。すきなこと、絵をかくことに注いで徹夜で描き続けられたらそれは誰かに見せるものでなくても自分の時間として良い夜だけれど、1000%突き詰めなくてもよいことに1000の力をそそいで、そのあと動けなくなってしまうのは、やっぱりよくないことだ。
いい住まいと、いい暮らしと、こどもにとっていいこと(それも中長期的に)すべてが欲張りになって、本末転倒になってきている。それでもプライオリティーをどこに置くのかていねいに精査して結果「人生は自分で道を切り拓いていかなきゃね」というか「切り拓いていける人生を歩みたいのだね」とゴールがみえたのに、きれいに整備していただいた道があることに気づいて、それに乗るべきなのかわからなくなった。
いままで、そういった道はすべてかたくなに「NO」と拒み続け、その代わり当たり前だけれど自己責任という重い岩を背負ってその場しのぎだけど道を開拓してきた。自分だけの道。それが家族がふえて「いちいち自己責任だとかおもわなくていいよ」と岩をおろされてスパコーンと投げ砕かれて、身軽になったわたしは自分で歩きながら小さい石ころを見つけては拾って、無理やり溶接かためておっきくして、やっぱりこういうのを背負っていたいのと歩き始めた。それは自己責任とはまた違う罪悪感の岩っぽかった。だけど子どもも重たいし、HOP-STEP-JUMP-DIEで海にとびこんで自然に還るなんてゼッタイNGだし、もう自分さがしなんてあきらめてきれいに整備されたレールに乗った方が安全で楽なのではないだろうか。
楽したいという怠惰な性格と、今しか生きられない性質と、自由を求めるくせにがんじがらめじゃないとマトモに歩けないと、言い訳ばかりつぶやいて、こんな単なる「お引越し」を重たい話にしてしまうのは、なーぜ?
とにかく人とかかわっていないと、つながっていないと、どんどんこの思考の波にのまれてしまう。時間はかんたんに融けてゆきわたしの前からなくなるわけではなく、マグマのように重たく飲み込んでから固まってそのまま閉じ込めてきそうだ。
『銀河の一票』のあかるい方へ。あかるい方をさがしている。口では「またそのときに考えればいいじゃん」「だめだったらまた引っ越せばいいじゃん」「住めば都かもじゃん」そう言いながら、だったらいっそのこと、ここでもない、どこでもない、そんなどこかへ移住しようよ、とか非現実的な案がでてきてしまう。
とりあえず、小さい旅にでも一回でたらいいのだろうか。頭を冷やせ。それか内臓をあたためたい。




