アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶともなしに記録しようと思う。言葉は儚いものであるからこそ、今このときを確実に残してくれるから。

 



「ロベール・クートラス:無神論者の聖人」展覧会タイトル



 

クートラスが好き。スケッチブックの切れ端にクートラスになりたいと小さく書いたこともある。恥ずかしい。でも、そのくらいには好き。はじめてクートラスのことを知ったのは、いまから15年くらい前。リトルモアから2011年に出版された『クートラスの思い出』という本だった。当時はたらいていたお店の書棚から見つけて手にとったその本のなかのクートラスの絵に釘付けになった。お金もなく、貧しい生活の中で「カルト」と呼ばれる手札サイズのボール紙に描かれた作品を6000点以上(!!!)も残し、パリで亡くなった画家ロベール・クートラス。孤高の画家・クートラスの生み出す絵から感じるのは、まじりっけのないまっすぐな心。契約していた画廊からその当時はやっていたような売れる画風を求められるも、その商業主義的な部分に嫌気がさして契約を打ち切ったという話からわかるように、たとえ貧乏で苦しんだとしても自分の描きたいものを描くということに情熱を注いだ、ある意味すごく純粋なひとだったんだと思う。そういうひとの描く絵や線は、当時のわたしにはとても新鮮なものにうつったし、新社会人になってすぐ就職した最初の会社を嫌になってやめて、その後逃げるように関西に帰ってきたわたしにとっては、すごく強いものにも思えたんだった。

あれから15年。クートラスの作品集を見つけては買うなどして手元に集めてきたが、実物をみれるような機会はなく、ごくたま~に本棚の前に立ってその作品集をひっぱりだしてはながめるくらいしかしていなかった。それがなんてこと。朝方ベッドのなかで目がさめてぼーっとX(旧Twitter)のおすすめをスクロールしていたら「クートラス」の文字が飛び込んできた。ポストしてくれた正一さん、ありがとうございます。

新潮社倉庫sokoにあるギャラリー「青花室」にてクートラスの展覧会《ロベール・クートラス:無神論者の聖人》をやっているとの情報。期間を確認すると、10月7日まで。いける、いける。いけるやん。むしろ今日いける、今日行かないと。その勢いのままシャワーを浴びて準備をして神楽坂に向かった。

生でみるクートラスは、その作品の小ささとは裏腹に大きなエネルギーをはなつからすごい。どうしてもみたかった「カルト」。ちょうどわたしがいま手に持っているiPhone12miniくらいのサイズだろうか。四角い形に切り取られたボール紙に描かれているのはひとの顔のようなものや色んなモチーフの数々。お金がないなか、パリの街で拾い集めたダンボールや厚紙などを使ってなにかに取りつかれたように描いていたクートラスを想像しながらみる生カルトはやっぱりすごかった。それは、クートラスの頭の中を垣間みたようでもあり、クートラスの祈りが形になってぼんやり浮きあがってくるような気もした。11月のふたり展でこれが何かになって表せたらいいのにな。

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エフェメラ/「一日だけの、短命な」を意味するギリシャ語「ephemera」。転じて、チラシやポスターなど一時的な情報伝達のために作成される紙ものなどを指す。短命だからこそ、時代を映すとされ、収集の対象になっている。