今週は、今の部署に来て毎週のメイン業務について、初めて単独で責任者をしているので、少し緊張感を持って仕事。自分の能力に照らして難しい仕事だとは思っていないけど、作法、進め方について、慣れてなくて手順がピンと来ないので、次何やるんだっけ?ということも色々あり。とりあえず、本日のタスクは無事完了。
そしておまけのAIコンサル業。(笑)先週テスト用に頼んだ過去履歴を含む数万人のデータ。やはりシステムのユーザーインターフェイスからは出力できないことが判明したので、管理元のシステム部署に出力させるように指示してあった。そのデータがデスクから送られてきたので開いたら、名前とか住所とか個人情報がない。(笑)システム部局がわざわざ個人情報に配慮して、そこを削ったデータを送ってきたそうな。個人情報の照会、すり合わせができるか否か、そのテストをするためにデータを取り寄せているのにどういうことだ?(笑)他人に期待はしていない人間なので、このくらいのことでキレたり、ガッカリはしないけど、苦笑いはするかな?もう一度、名前付きのデータをもらって、と頼んでいたものが夕方到着。で、早速試したら、できました。名簿の照会。去年まで多数のスタッフが何日もかけてやっていた名簿重複者の確認が数分で。内容は完璧かな。私が入力したコマンドはすべて検証されて、エクセルで出力した結果は、アラートの種類によって行は色分け。そしてエラー内容はその行にマウスを置けば、ポップアップ表示で確認できる仕様。最近、私のレクチャーで結構追いついてきた同期にテストデータを渡してあとはお任せ。やれやれ。こう見えて最近、結構働いているなー。(笑)

仕事はさておき、引き続きAIと壁打ちで「リヒストリング」、歴史の自由研究継続中。最近のテーマは馬。残念ながら、Geminiの推薦で買ったこの本は面白くなかったけど、平安時代から鎌倉時代にかけての歴史理解の解像度がAIとの壁打ちでものすごく上がった。「鎌倉殿の13人」はドラマとしては面白かったけど、源平ものって、やっぱりこれまでの映画や漫画でもどうもしっくり来ないと思っていた。おそらくその原因は馬への理解の不足にあるという結論。
何というか、平安時代から関東は馬の生産を中心に回っていたと考える方が武士の勃興、成長を理解しやすい。飛鳥時代の昔から、日本に馬が伝わってから、そのニーズは乗用、軍用、ステータス、贅沢品として一貫して高まり続けていたことは間違いない。で、その生産地は東日本に偏ってきた。これは火山灰由来の土壌で農業がほぼできない黒ボク土の広い台地が関東、信州、甲州などに非常に多かったためだ。そして朝廷はこうした農業未開の東日本に朝鮮半島の戦乱で亡命してきた百済や高句麗の難民を数多く送り、馬産技術や水田開発を進めさせた。そういう地域に奈良時代になると、軍馬などの生産地として国営の馬牧場の御牧というものを設営した。おそらく元から馬生産牧場だったものを、国営と宣言して管理官吏を送り込んだのだろう。まあしかし都から送り込んだ役人が馬の世話をするはずもなく、実際は地元の豪族が運営していたと思われる。広い牧場で多数の馬を生育して管理、そして警備するためには、馬に乗れる多数のカウボーイみたいな牧童がいないと成立しない。また馬は当時非常に価値が高い高級車みたいな存在なので、油断すると盗人に盗まれるので警備も必要だ。馬泥棒対策として必然的に武装しないといけない。そして、生産した馬は毎年、都に送り届けないといけない。馬だから関東から歩かせて連れて行くわけだ。大規模な牧からなら百頭以上の馬群になったと思われる。野盗への警戒もしながら百頭の馬を都まで届けるのはもはや軍事オペレーションみたいなものだ。でも、関東の馬生産豪族は奈良時代からこれを繰り返していたことになる。献上の馬は朝廷などに納めなければならなかったと思うが、それ以外に連れて行った馬は市などで都などでは高価に売れたはずで、難オペレーションに見合う利益が上がったはずだと思う。ちなみに国営牧場の御牧が整えられた律令制の中では、都に馬を運ぶための宿泊休憩拠点として、駅家というものがこれも公営で海道沿い各地に整備されて、御牧から都に運ぶ隊列は無料で、馬を休ませて人間も宿泊できたらしい。これはあくまで運ぶ馬は朝廷などへの献上品、という建前による。しかし、馬生産豪族、(これは結局現在の感覚でいう実業家みたいなものと考える方が近いと思う)からすれば、野盗から警備しながら命懸けで都に運んだ馬を全部献上してしまえば利益にならない。だから、都で売り捌くとか、賄賂に使うような「予備馬」を大量に連れて行ったらしい。これに悲鳴をあげたのが駅家の役人で、平安時代、朝廷は何度も駅家に私馬を持ち込むことを禁ずる触れを出している。(AI調べ)821年には「献上馬百頭に対し予備馬は10頭まで」という細かい内容も出している。しかし、百頭以上の馬を連れた武装集団に駅家の小役人が抵抗できたはずもなく、馬生産マフィアは都で私馬を売り捌いていき、実力を蓄えて行ったようだ。ちなみに関東でも飛び抜けて大きかったのは千葉の上総氏と下総の千葉氏だったようだ。大河ドラマでは佐藤浩一さんが演じていた上総広常ですね。そして彼らは都に馬を運ぶのに当時は東京湾を船で渡って三浦半島へ行っていたということ。渡った先の三浦半島を支配したのが山本耕史演じた三浦一族ですね。結局彼らは物流のハブを抑える一族で海運もわかっていたわけだ。そして東京湾を挟んで上総氏と三浦氏は婚姻なども通じてツーカーだったわけだ。上総氏に至っては馬の動員力1万みたいな勢力であり、結局こういう勢力が頼朝を担ぐことを決めたから、鎌倉幕府につながって行くことになったのだろうな?などと考えるのは面白い。
おまけ。AIが出してくれた馬に関する禁令の文書メモ。日記じゃないけど暇な人はどうぞ。面白いですよ!
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律令国家が「駒牽(こまひき)」の公的輸送に紛れて大量の私馬を連れ込み、駅家や公的インフラを不正利用することに頭を痛め、繰り返し出していた禁止令の具体的な史料例です。
いずれも『類聚三代格(るいじゅうさんだいかく)』という平安時代の法制史料集などに収められており、当時の朝廷の苛立ちと現場のしたたかな裏ビジネスの実態が克明に記録されています。
1. 『類聚三代格』巻五(延暦16年/797年4月11日 官符)
奈良時代末から平安初期にかけて出された早期の禁止令です。すでにこの時期から、本来の献上馬(貢馬)に私馬を混ぜて駅家の馬や食料を食いつぶす行為が横行していました。
原文
「太政官符 応禁断東国貢馬使等雑載並引私馬事。 勅、貢馬使等、乗公馬、食公糧、往来沿路、専行私利。或多載雑物、或多引私馬。損費駅馬、傷殺者衆。自今以後、並宜厳加禁断。」
現代語訳
「太政官符:東国からの貢馬使(献上馬の責任者)らが関係のない物資を載せ、並びに私馬を引き連れていくことを禁止する件。 勅(天皇の命令)す。貢馬使らは官用の馬に乗り、官が支給する兵糧を食べながら沿路を行き来し、専ら私的な利益を追求している。あるいは大量の私的な荷物を載せ、あるいは大量の私馬を引き連れている。これにより駅馬を疲弊させ、死死させる者が非常に多い。今後は一切厳重に禁止せよ。」
2. 『類聚三代格』巻五(弘仁12年/821年7月9日 官符)
禁止令を出しても一向に収まらないため、具体的に「何頭までなら認めるか(予備馬の制限)」を厳しく規定しようとした法令です。現場が「病気・事故の予備だ」と言い訳して私馬を大量に連れて行くことを見抜かれています。
原文
「太政官符 応禁切引私馬並乗駄過員事。 勅、諸国貢馬使等、以引私馬為名、多牽雑馬。沿路駅家、責供草料。駅馬疲弊、公私成弊。自今以後、貢馬百匹毎、過員(予備)の馬は十匹を超ゆるを得ざれ。其の余の私馬、一匹も引き連れること莫かれ。」
現代語訳
「太政官符:私馬を引き連れること、および規定を超えて荷馬に乗ることを固く禁止する件。 勅す。諸国の貢馬使らは『私馬を引き連れている』という名目(あるいは予備という名目)で、多くの雑多な馬を連れている。そして沿路の駅家に押し寄せては飼料(草)の提供を強要している。これによって駅馬は疲弊し、公私ともに害となっている。今後は、献上馬100頭につき予備の馬は10頭を超えてはならない。それ以外の私馬は、1頭たりとも引き連れてはならない。」
3. 『類聚三代格』巻五(貞観7年/865年6月19日 官符)
平安時代中期に入り、禁止令が完全に骨抜きにされ、使者だけでなく同行する雑務係や武士たちまでが便乗して私馬を連れ込んでいた実態を糾弾する太政官符です。
原文
「太政官符 応禁断貢馬使並伴等引雑馬事。 昨聞、諸国貢馬之使、並及伴等、各引私馬、経由駅路。或称予備、或称自乗。損費官物、損害駅家。宜令沿路国司、厳加検察。若有違犯者、即収其馬、没官不赦。」
現代語訳
「太政官符:貢馬使およびその従者らが雑馬(私馬)を引き連れることを禁止する件。 昨日聞くところによれば、諸国の貢馬使およびその伴(従者・郎党)らは、各々が私馬を引き連れて駅路を通行しているという。ある者は『予備の馬だ』と称し、ある者は『自分が乗るための馬だ』と称している。これにより官物を浪費し、駅家に損害を与えている。沿路の国司(知事)に厳重に取り締まらせよ。もし違犯する者がいれば、直ちにその馬を没収し、許すことなく国庫に没収せよ。」
史料から見えてくるリアル
このように、9世紀の段階で**「予備の馬だ」「自分が乗る馬だ」**という言い訳のパターンまで朝廷側に完全に把握されていたにもかかわらず、797年、821年、865年と、数十年おきに全く同じ内容の禁止令が繰り返し出されています。
罰則として「私馬の没収」まで規定されていますが、現場の東国武士や役人たちは、沿道の駅家を脅したり買収したりしながら、この「公的な無料・安価な輸送インフラ」を使った私的ビジネスを力づくで押し通していたことが分かります。




